カミュは、私たちより一回り上の世代にとって神のごとき存在だったと思う。私の9歳上の兄は、文学青年でもなんでもなく、長嶋に憧れて立教大学に入ったような学生だったが、カミュが死んだ時は非常に興奮していたのを憶えている。
話は、欧州中部のホテルを、母・原田美枝子と娘・小島聖が二人でやっている。もう一人不気味な中年男の使用人は小林勝也。
彼女たち二人には、重大な秘密があり、宿泊客を殺して金を奪っているのだ。そして、娘はその金で燦燦と日の射す南国に行くことを夢見ている。
ある日、男・水橋研二とその妻・深谷美歩がやってくる。実は、男はその家、つまり母親の息子、娘の兄なのだが、20年前に出て、放浪してきて初めて戻ってきたというのだ。
男を見ても、母も娘も、本当のことはまったく分からず、いつもの通り夜中に男を殺し、川に持って行って捨てたのだ。
翌日、ホテルには泊まらなかった男の妻が来て、男のことを聞き、殺されたことを知り、二人に真実を話す。
母は、あまりのことに自殺し、、娘は神を求めるが、その時使用人の男は言う。
「だめです!」
見ていて、カミュの作劇が非常に上手いのに驚いたが、かれはもともと芝居が好きで、劇団をやっていたのだそうで、道理でと思う。
カミュと言えば、不条理だが、それは別に欧州の近代文学の専売特許ではなく、江戸末期の歌舞伎も多くは不条理劇である。
黙阿弥に典型だが、愛し合っていた恋人同士が、実は幼いころ別れた兄と妹であることが分かり、「畜生道だ」として主人公は自害して果てる。
ここでは、娘は盛んに「世の中は理不尽」と言い、その不条理に神に救いを求めようとする。
役者では、無口だが最後に締める台詞を言った小林勝也がさすがだった。
翻訳岩切正一郎 演出稲葉賀恵
新国立劇場小劇場