日本の敗戦は物量の差ではない 

ドナルド・キーン氏が亡くなられた、96歳。日本文学の海外への紹介に大変なご功績があったが、なによりも日本人と日本文化への深い理解は大したものである。

さて、キーン氏は、第二次世界大戦中に太平洋の島々で日本軍の兵士が残した手帳の解読に当たる。そこには部隊の実情、作戦などがきちんと書かれていて、その解読は米軍の作戦の立案に大変役にたったそうだ。戦後米国出の日本文学研究者には、キーン氏やサインデーステッカー氏のように、こうした戦争に従軍した方が多い。

つまり、米国は、戦争が始まると日本研究と日本語従事者を養成し増やしたのである。

日本は、逆に英語教育を禁止し、カタカナの使用すらやめさせようとし、多くの芸能人が芸名を変えられされた。ディック・ミネは三根耕一にされ、あきれたぼういずは新興快速舞隊に変えられ、古川ロッパも改名を迫られた。野球もカタカナの用語を平仮名読みに変えさせた。

まことに愚かと言うしかない。

かの孫子も言っているではないか、「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」

これを実行したのは皮肉にも米国で、逆の政策をとったのは日本なのである。決して物量の差ではない、根本的な考え方が間違っていたのだ。

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コメント

  1. 竹田兼好 より:

    アメリカはアメリカでドイツ憎しでザワークラフトをリバティーキャベジンと言わせようとキャンペーンを張ってますね、その時代は。時代の制約は日本だけじゃなく当時の時代の風景でしょう。

  2. そのようなことではなく、要は相手を理解しようとする意思の有無です。
    日本にはほとんどなく、アメリカは総力を挙げて日本理解を進めます。

    ルース・ベネディクトの『菊と刀』もそうですし、映画では『汝の敵を知れ』というのも作られています。