大嘗祭のとき、バンツマは

昭和3年11月に、昭和天皇の大嘗祭が行われたが、この時は東京ではなく、京都で行われた。
このため、京都では歌舞音曲が禁止され、祇園等の花街も営業停止になった。
この時、阪東妻三郎は、「営業ができないのは大変だ。俺が全部借り上げよう」と言い、祇園を総揚げしたそうだ。
本当に豪快な役者である。
勝新太郎は、阪妻が大好きで尊敬していたので、『王将』『無法松の一生』など、阪妻の映画をリメイクした。
となればもし勝新が生きていたら、この令和天皇の大嘗祭においては何をしただろうかと思うのだ。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする