京マチ子が亡くなり、普通はこんなに出ないと思うが、さすがに『羅生門』の性で

京マチ子が亡くなり、普通はこんなに出ないと思うが、さすがに『羅生門』の性か、結構テレビでも紹介されていた。
だが、たぶん京マチ子主演で一番な映画は『いとはん物語』だろうと思う。
なにしろ、京マチ子が醜い女を演じるのだから凄い。
よく考えると嫌味だが、さすがに彼女と監督の伊藤大輔は上手く作っている。
以下は、前に見た時の感想。

『いとはん物語』
京マチ子が大阪の老舗の扇屋の長女で、醜女を演じる不思議な映画。
原作は北条秀司、脚本も組立てが上手い成沢昌成なので、話はとてもよく出来ている。
京マチ子は番頭の鶴田浩二が好きで、それを察した母の東山千栄子が話を運んでやる。だが、鶴田は同じ奉公人の小野道子が好きで、ご大家の婿の話を断ってしまう。
醜女だが、人の良い京マチ子の演技を見せるのが眼目。
だが、よく考えると、この時期(昭和33年)は皇太子(現天皇)が、正田美智子さんと婚約を発表していて、「家柄や地位よりも好きなもの同士の恋愛が一番大事」との思想が日本中を支配していたときである。
鶴田も、金や地位よりも愛を優先させ、時代の風潮には勝てなかったのだ。
今、考えれば鶴田の考えは滑稽で、それに京マチ子の醜くさは、整形手術でなんとでもなる。
音楽が伊福部昭で、『ゴジラ』臨終の曲が荘重に流れるが、ぴったりだった。
監督伊藤大輔は、こうした時代物(明治末から大正の大阪)の時代考証や風俗はさすがに上手いが、鶴田や京の演技はすべて「板についた」動きで、まるで日本舞踊を見るような振付演技。
マキノ雅弘などの、この時期のスター芝居はすべて振付なのだが、ここもそうだった。
フイルム・センター

嫌味と言えば嫌味だが、よくこんな作品を作ったものだと思うのは私だけだろうか。
京マチ子がきれいだということを裏返しにした作品だと思う。

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