記憶に残るアンダースロー

WBSCのプエルトリコ戦で、ソフトバンクの高橋投手が好投した。
高橋は、近年は少ないアンダースローとして注目されているが、昔は各チームに一人くらいアンダースローやサイドスローの投手がいたものである。
巨人には、大友工という大投手の後に、サイドスローで安原という投手がいた。
太洋にも坂井がいて、結構良い投手だったが、秋山は、弱小チームだった太洋ホエールズ時代の大エースだった。
投手王国の阪神は意外にも少なく、上田二朗ぐらいで、ヤクルトから来た鈴木の二人くらいだった。

アンダースローの王国と言えば、なんといっても阪急ブレーブスで、山田久志がいたが、その前に足立光宏がいた。
足立は、入団当初は速球派の投手で、1試合17奪三振の記録を作ったくらいだったが、晩年で凄かったのは、日本シリーズでの活躍だった。
1976年の日本シリーズでは、7戦目にリリーフで出て巨人を完全に抑え、阪急の巨人相手の初の日本シリーズ勝利に貢献した。

日本プロ野球史上最高のアンダースローは283勝の山田久志だろうが、短期的には南海の杉浦忠が最高だったと思う。
1959年には、38勝4敗という信じがたい記録を残し、日本シリーズでも4連投4連勝したのだから、凄いというしかない。
しかし、やはり投げすぎで、187勝で、200勝に到達できなかったのだ。

杉浦はサイドスローだが、手首が立っていて、横に倒れていない独特の投法だった。

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