小学校4年生の夏、初めてナイターに兄に連れて行ってもらったとき、巨人の先発が藤田だった。相手の阪神は村山。
阪神の藤本が2本もホームランを打つ打撃戦だったが、最後は巨人が国松のホームランで勝った。
当時、巨人も投手が不足し、藤田も酷使されたので、寿命は短く通算勝利は119勝しかない。
南海の杉浦は、日本プロ野球史に残る大投手だが、同様に鶴岡監督に酷使され、結局200勝できなかった。
当時は、一流選手とそれ以外との間のレベルの差が大きかったので、優勝争いをするチームのエースは常に板過多になった。
金田正一が400勝しているが、あれも優勝とは全く関係なかった国鉄だからできた記録とも言える。上位チームにいて300勝以上あげたのは、米田、小山、稲尾、それに時代が違うが、別所くらいだろう。
南海では杉浦はまだいい方で、宅和和己、木村保など、歴代新人王投手が登板過多で翌年以降全く駄目という歴史が続いたのだから。
「一将功なって万骨枯る」がプロ野球の監督と選手の歴史だった。
コメント
藤田元司氏の逝去に想うチェンジアップの人間心理。
親愛なるアッティクスへ
元読売ジャイアンツの監督で、「球界の紳士」と言われた藤田元司氏が逝去されましたね。
心より、ご冥福をお祈りします。
私は、当然ながら、西鉄ライオンズに完膚無きまでに敗れたときのエース・・・という時代は存じ上げませんので、どうし