コロナですべては変わるのか

先日、横浜のある場所で、zoomによる会議の様子を見て、一部私も参加した。
会議と言うよりも、私は会話程度だったが、「ああこれがネットの会議か」と思った。
そして、会議のみならず、仕事のやり方も、ホームワークに移行するのではないかと言われている。
たしかに、場所を越えて様々な活動ができるので、ネットでの活動が盛んになっていくだろうと思う。
ただ、それが社会活動の全部になるとは私は、思わない。

と言うのも、今から約40年前、パシフィコ横浜に行った時は、ちょうどパソコンとネットが普及し始めた時で、
「今後は、会議、展示会、イベント等のコンベンションは、ネットが普及すると、総体としては増えないのではないか」という意見もあった。
だが、実際はまったく逆で、ネットが普及すると共に、逆にコンベンションは増加してきたのだ。
その典型は展示会で、ネットで商品の情報は増えて容易に得られるが、やはり現場で本物を見て判断したいという欲求があるのだ。
それは、イベントも同様で、ネットで情報を得たアーチストは、本当はどうなのだろうかと会場で実際に見て感動したいとなった。
その結果、音楽でCD等は減っているが、逆にライブは非常に増加し、現在もそうである。
いずれ、このコロナウイルス騒動が終了したとき、ネットへ移行する活動はあるだろうが、現場での活動は残るだろうと思う。

先日、京都大学の山際寿一総長が、朝日新聞に書かれていた。
本来、家族を持ち、そのことでゴリラから進化してきた人類にとって、家族とその共同体は必須のものだった。
だが、19世紀以後の近代化と都市化で、人は家族や共同体との結び付を失ってきた。
その代替として、芸術や文化、さらにイベント等による感動があるので、これを手放すことはできないだろうと。
私も、そう思うのだ。
家族も会社も、あるいは地域も信じられず、帰属できない現在の人間にとって、最高の帰属、共同意識は、こころざしを同じくする人間との交流である。
アメリカは、たぶん戦後そうなっていたので、あらゆる分野でのコンベンションが盛んになっていた。
日本も次第にそうなりつつあり、今後もきっとそうなるのだると思うのだ。

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