『君死に給うことなかれ』

1954年、司葉子のデビュー映画で、池部良との恋愛映画だが、冷静にみると完璧なストーカー映画である。
戦時中、たぶん1945年頃、池部は病気の母親英百合子を見舞うために病室にいくと、若い看護婦の司に会い一目ぼれ。
だが、池部の母は、空襲から逃げて防空壕におかれた夜に死んでしまう。
この病室から防空壕に避難するするシーンはロケーショんで撮影されており、迫力があるが、当時の参加者はみな戦争経験者だった。病院、さらに後に出てくる図書館も、本郷の東大のようだ。当時は、東大も映画撮影に貸してくれたのだ。
池部には、従弟で軍人の土屋嘉雄がいて、彼は妹の若山セツ子と早く結婚してくれと言っており、ついに土屋に戦地への移動命令が出た夜、式を挙げろと迫る。
その夜、池部は自宅から病院に行き、司を探す。彼と司の間をじっと監視している看護婦の上司は菅井きん。
司は、病院を辞めていて、故郷の広島に行ったと聞き、ストーカー池部は、東京駅から列車に乗り込む。
大混雑の列車の中を池部は探して、ついに司に出会う。
列車が関西付近に来た時、空襲に襲われ、皆外に逃げ、池部と司も手に手を取って野原に逃走する。
空襲が終わると二人は列車に戻り、ある貨物車に入る。
その時、事務員が池部の名を連呼している。当然のように池部に召集令状が来たのだ。
そして、二人は貨物車のワラの上で抱き合う。
フランス映画『離愁』でも、貨物車でのセックスがあったが、ここでは抱き合ったところでカットなので、どこまでかは不明。
5年後のタイトル。

司は、広島の保育園で働いていて、園長の志村喬は、東京できちんと体を検査してもらうことを勧める。
東大病院での精密検査で原爆症のことを司は知ってしまい、さらに若山とも会い、戦後も池部が司を探していることを聞く。
なぜ、若山も原爆症なのかは不明だが、池部に付いて広島に行ったからだろうと思う。
戦後の池部は、気力を失い図書館に閉じこもりのようになっていると聞き、よせばよいのに司は、図書館にいくと池部に見つけられてしまうが、ここもすぐ広島に逃げる。
池部は、広島の保育園に行き、園長から、司が信州の療養所で働いていることを教えてくれる。
この療養所がすごくて、竃に粗朶をくべて料理をしている。
池部は、ここにも来て、一時は司も心を許すが、その夜、川に身を投げてしまう。
救い出した池部は、司を抱えて草原を歩いて行き、幸福に生きていくことを二人は確かめる。
監督の丸山誠治は、京大時代はオーケストラにいた性か、早坂文雄の交響楽的音楽が少々うるさい。

丸山は、黒澤明と助監督試験同期で、山本嘉次郎は
「音楽の分かる者として丸山を、絵の分かる者として黒澤を」採用したと言っている。
丸山は、助監督時代に二度召集され、二人の先輩の本多猪四郎は三回召集されたが、黒澤は一度も召集されていない。
その理由を黒澤は自伝で、徴兵検査のとき、係員が黒澤の父の教え子だったので、免除してもらったと書いていることを信じている人もいる。
だが、黒澤が徴兵検査を受けたのは1930年で、世界も日本も軍縮の時代だった。
太平洋戦争後は、兵隊が不足し、乙種でも徴兵されており、東宝でも円谷英二は、44歳だったが徴兵され仙台に行っている。
司葉子は、きれいといよりは、可愛いという感じに見える。
彼女は大変に人気があり、長嶋茂雄とも噂があったが、議員の相沢と結婚して驚かせた。

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