『忠臣蔵』今昔

昨日の12月15日は、赤穂浪士が、本所の吉良邸に討ち入りした日だった。
日本の映画史上、一番作られたのは、この「忠臣蔵」だそうで、日本中で人気だった。
ただ、私は好きではないが、話として非常に良くできていると思う。
また、いろんな役柄の人が出てくるので、多くの役者が出ることができるので、「忠臣蔵」ができるようになったのは、その会社が大きくなったことの証でもあった。
その意味で、新東宝や戦後の日活は「忠臣蔵」を作っていない。大映、松竹、東宝は何度か作っている。
だが、1960年代中頃以降、「忠臣蔵」は作られなくなった。
その代わりに出てきたのが、ヤクザ映画であり、笠原和夫さんも、「ヤクザ映画は、「忠臣蔵」を利用した」と言っている。
ヤクザ映画では、良い組があるが、それが悪辣な組にいじめられ、最後は復讐を遂げるというものだ。
確かに「忠臣蔵」によく似ている。
また、脚本家の井手俊郎さんによれば、1949年の『青い山脈』を書くとき、この「忠臣蔵」の構造を利用したとのことだ。

討ち入りの場面は、『青い山脈』では、最後のPTA総会のシーンになっているとのこと。
また、1970年代以降は、テレビ局で、年末恒例の大型番組として作られたが、それも最近はなくなったようだ。

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