『皇帝のいない八月』

左翼の山本薩夫が、自衛隊クーデターを描いた作品として一部でカルト的な人気があるという映画。ツタヤにあったので、年末の暇つぶしに見る。
途中までは、とても面白い。
吉永小百合や山本圭の大芝居は気になるが、大体1時間半くらいは、まず見られる。三国連太郎をはじめ、滝沢修の首相、佐分利信の大物政治家等々のやりとりも面白い。
ところが、いざ特急さくらを乗っ取った連中が、「東京に行くぞ」というところで、途端につまらなくなり、めちゃくちゃになってしまう。
そして、最後は自衛隊同士の銃撃戦と列車の爆破に終わる。
なぜか。
原作の小林久三の話に問題があるのだと思う。
小林の話は、その中心が他の話からの「いただき」であり、オリジナル性がない。
この映画、小説は、明らかに『カサンドラ・クロス』や『新幹線大爆破』からのアイディアのいただきである。
『錆びた炎』という貞永方久監督作品も、黒澤明の『天国と地獄』から大きくヒントを得ている。
別に、他作品からヒントを得ても良いが、その展開の仕方にオリジナル性と知恵がないのだ。

山本薩夫の回想を読むと、これは松竹から話があったが、自衛隊の描写やクーデター計画等の肝心のところの細部にリアリティがなく困り、いろいろ調査していて時間がなくなった。
結局、シナリオが完成しないままに、撮影に入り、撮影しながらシナリオを直して行ったのだそうだ。肝心のクーデター計画に全くリアリティがない。大体クーデターと言うものは、突然やるもので、のそのそと九州から列車で来る馬鹿がいるか、と言うものだ。
だから、最後に来て、映画はめちゃくちゃになったと言う訳である。

だが、この映画で最大の問題は、クーデターの主役が渡瀬恒彦であることだと思う。
渡瀬は、とても良い役者で、兄の渡哲也よりはるかに上手いが、基本的にクールな役者である。クーデターを起こす狂信的な人間には見えない。
それは、演技の問題ではなく、歌舞伎的に言えば「役者のニン」の問題である。

ツタヤで借りた、この松竹DVDは、音がとてもひどい。
特に佐藤勝指揮のオーケストラの音楽で大音響になると音が割れてしまう。まるで、サンウンド・トラックからダビングしたのではなく、佐藤勝のレコード盤からダビングしたみたいだ。
この映画で松竹大船撮影所では、それまで首相官邸のセットを作ったことがなく、大道具が大変だったとのこと。
まことに庶民映画、貧乏映画の松竹らしい。
1978年とは、すでに30年以上前なのだ。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする