労働歌に違和感がなかった時代

フィルム・センターの今月は、西端100年の記録映画監督亀井文夫の特集。
今日は、大日本除虫菊・キンチョー蚊取線香の『キンチョー蚊取線香』のPR映画が前半。
後半は、亀井の代表作の一つで、原爆病患者の現状を描いた1950年の『生きていてよかった』

昭和30年夏の広島、長崎での「原水爆禁止世界大会」を背景に、戦後10年でも原爆症に苦しむ人たちが多数出て来て、証言する。
原爆乙女、原爆孤児等々、最低辺で暮らしている庶民の生活がドキュメントされている。
解説は、山田美津子、すなわち山田五十鈴。
彼女は、当時左翼映画演劇人に同調し、亀井文夫とも劇映画『女一人大地を行く』を撮っているし、他にも独立プロ作品に出ている。偉いね。やはり心がけが違うと思う。

ところで、この映画で参ったのは、広島の原爆青年会の若者たちが会合の中で、彼らが最も愛好する歌として、『しあわせの歌』、「しあわせはおいらの願い」を歌うことだった。
「しあわせは、おいらの願い、仕事はとっても苦しいが、流れる汗に」という歌は、電産労組が募集して当選した歌だそうだ。当時の大ヒットで、幼い私も知っていたくらいだ。
後には、フランキー堺、左幸子主演の映画も日活で出来た。

久しぶりに聞くとやはり、恥ずかしいが、当時普通の若者が歌っていて違和感がないほど、労働歌は、庶民の生活感情の中に溶け込んでいたのだろう。
事実、この歌は、「おいら」と言い、「仕事はとっても苦しいが、流れる汗に」と工場労働者の現実を表現している。
その意味では、労働歌という観念性ではなく、現実的な歌になっている。
その辺が、大ヒットした理由なのだろう。

映画『生きていてよかった』は、さすがに真摯で立派な作品で、思わず居住まいを
正したくなるような映画だった。

帰りは、用があって、横浜駅西口のそごうに行くが、大変な混雑だった。
こういうのを見ると、「どこが不景気なの」と思ってしまう。

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