BSで黒澤明の『デルス・ウザーラ』を見る。
『トラ、トラ、トラ!』での監督解任、再起第一作『どですかでん』の赤字で、失意の黒澤明に救いの手を差し伸べたのは、なんと旧ソ連だった。
これは、ソ連のモス・フィルムで作られたもので、黒澤明、松江陽一、野上照代、中井朝一らは、モス・フィルムの雇われスタッフとしてソ連に行き撮影した。
公開当時、日本での評価は余り高くなかった。
私の友人も年賀状に「黒澤老いたり」と感想を書いてきた。
それまでの、黒澤映画のテンションの高さがほとんどなかったからだろう。だが、私はむしろ好きな作品である。黒澤のやさしさ、純粋さが素直に出ているからだ。
今回見ても、淡々とした表現の中にきちんとドラマがあり、悪くない作品だと思う。
ともかく、主演の二人が良い。
アクセレーニエフ役のユーリー・サローミンは、モスクワの有名な俳優で、数年前どこかの劇団で来日したときは『三人姉妹』に出たのを見た。
デルス役の、マクシム・ムンズクは、ロシア極東地方の舞台俳優だが、アジア人らしい風貌と俊敏な動きが素晴らしい。
いかにも密林(タイガ)に生きる自然人という感じがする。
ここで描かれたヨーロッパとアジアの対立は、近代性と前近代性との対立であり、地球環境問題を考えると今日的な意味を強く感じる。
黒澤は、アメリカのハリウッドとは、『トラ、トラ、トラ!』で失敗したが、なぜソ連との『デルス・ウザーラ』では、成功したかは、きわめて興味深い問題だ。
やはり、アメリカとの間では、黒澤明の太平洋戦争への秘めたる思いがあり、平静には作れなかったということだろう。
コメント
創作されたデルスーウザーラ
日本橋高島屋で、神坂雪佳展をみる。酒井抱一や鈴木其一をこよなく愛する私にとって、ひさしぶりに日本美術に親しむ悦びをあたえてくれた。先日、神奈川県立歴史博物館に、亀を正面から描いた抱一の絵が展示されていたが、雪佳もおなじように、金魚を正面から描いている…
この作品はソ連でも映画化されています.
黒沢明は、日本での映画化を試みたようですが、あまりにもスケールが雄大で諦めたようです.
マキにするために公園の木を切り倒してしまった男.彼は自然と共に生きてきた人間で、街の生活になじむことが出来なかった.
お別れに、最新式の銃を与えたのだが、その銃を奪おうとしたシベリアの原住民に襲われて、彼は殺されてしまった.
鉄道の線路の脇で、彼の遺体は見つかった.
原作はシベリア鉄道が建設された頃の作品だと思います.
シベリア開発によって原住民たちの生活が破壊されることが無いように、原住民たちが受け入れることが出来る調和のとれた開発が行われるよう、訴えている作品だと思います.
中学時代からロシア文学が好きで、プリレタリア美術研究所で絵を習っていた黒澤は、「プロレタリア芸術家」です。だから、ハリウッドとは上手くいかなかったのですが、ソ連とは映画製作がなんとかできたということでしょう。
彼が、いかに「日共民青的」であったかは、映画『夢』の最後の村の祭り、村人の音楽パレードを見ればすぐにわかることでしょう。最初に見た時、恥ずかしさで赤面する思いでした。
あそこには、東郷晴子など、結構有名な俳優も出ているのですが、全く分かりません。それもすべての人間をただの人民の一人としてしまう「共産主義的思想」だと思います。
浮世離れしたデルスは、一見、白痴のようで、共産主義が、理想上の共生や、底辺のボトムアップにあったのではなくて、実際には、競争や不公平があって、それに騙される形で、デルスという無垢な英雄が居たという、矛盾を突くものでもないでしょうか。
少数民族として、軽んじられ、騙されても、生きて行く決意を持っていて、アルセーニエフとの友情は、唯一、社会との接点を見出すもので、その交流の中で、最新式の銃を貰うというくだりがあって、殺されてしまう、という、そこには、森の住人としての善意や、無垢である事が、文明社会の競争に対応出来ていないという事でしょう。
これは、19世紀の話で、共産主義とは関係ありません。ロシア人の将校役のユーリー・ソローミンは、有名な俳優で、来日公演で彼の芝居を見たことがあります。デルスは、実際にアジア系の役者マクシム・ムンズクで、数年前に亡くなったと思います。
『トラ・トラ・トラ』とアメリカ映画で失敗したのに、ソ連で成功したのは、黒澤明が「プロレタリア作家」であったことを意味していると思います。