佐藤栄作密約文書の意味

1969年に佐藤栄作がニクソンと行った「沖縄核密約」文書が、佐藤家から出てきたことが新聞各紙に報じられていたが、きわめて興味深いことがいくつかある。
この文書は、アメリカの公文書公開、さらに日本側の密使だった若泉敬の著作ですでに明らかになっていたが、佐藤家から出てきたのは少々驚きである。

辞職時とは言え、公文書を自宅に持って行ったのは、今日でみれば公文書の窃盗に当たる犯罪だが、当時佐藤栄作には、公文書という意識はなかったのだろう。さらに、佐藤は若泉に「破ったっていいんだ」と言っていたというのは、明らかに個人的なレターだと思っていたことを示すものである。
この辺の日本とアメリカの認識の差異は、まさに国の出来方の違いを明確に示している。天皇が作った日本と、民衆が作ったアメリカとの違いである。

そして、ここから理解される一番重要なことは、佐藤栄作がアメリカに対して、特に核武装について、一定の距離を保つ姿勢を持っていることである。
なぜ、佐藤栄作、そして元々吉田茂が、アメリカ一辺倒でなかったかの理由は、簡単には分からない。アメリカと戦って負けた悔しさかも知れないし、日本人としての誇りかもしれない。いずれにせよ、吉田、佐藤らには、小泉純一郎や民主党代表だった前原誠詞などとは違う矜持があったようだ。
だが私は、そこには、特に「非核三原則」には、昭和天皇の意思が強く反映していたのではと考えている。
歴代自民党内閣が、日米安保体制を堅持しつつ、完全な対米従属でなかったのは、極めて興味深いことであり、そこには昭和天皇の意思が反映されていたのではないかと思うのだ。

そして思うのは、佐藤栄作というのは、きわめて興味深い人間である。
歴代総理の在任期間は7年8ヶ月と言うのだから凄い。
私の、高校、大学時代は、ずっと佐藤内閣時代だった。
本当に、佐藤内閣は終わらないのではないか、と思えたほどだ。
その権力の源泉は、どこにあったのか。
巧みな官僚操作術は勿論だが、自民党は勿論、社会党、共産党、さらには部落解放同盟にまで張り巡らせた人脈とネットワークにあったという。
この人は、単に長期政権の首相としてのみ記憶されているが、やはりきちんと検証されるべき人物だと思った。

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コメント

  1. ぱいぱい より:

    Unknown
    小泉首相が対米従属だったというのは誤解です。そう信じている人がネット上に多いのは事実ですが。

    小泉時代に思いやり予算が増額されたというのはデマです。ウィキペディアにも書いてあります。

    イラク戦争についても小泉は反対しました。
    いったん開始されてからは大局的な見地から賛成しましたが。

    そして、ネット上の反米主義者がよく言う「郵貯をアメリカに売った」は根も葉もないデマです。改革要望書にそれが載っていたのは、ただ単に小泉の政策を支持するという意味です。