飛鳥田一雄氏について

洞沢さんのリクエストにお応えして、飛鳥田一雄元横浜市長について私見を書く。
1970年代、飛鳥田一雄横浜市長の人気は絶大だった。
その名声に引かれて、全国から有能な人材が集まったことだけでも、その功績は大だったと言えるだろう。
私の場合は、当時大田区に住んでいたので、どこでも良かったのだが、東京、横浜、川崎とを受けて、合格した横浜、川崎の中から給与の高い横浜市に入った。
東京都は一般職では補欠の上位だったが。

市長時代の飛鳥田氏の功績は大なるものがある。
みなとみらい21事業をはじめ、港北ニュータウン、高速道路と地下鉄、金沢埋立て、横浜ベイブリッジ等は、すべて飛鳥田時代の計画「6大事業」である。そこに田村明、鳴海正泰氏らブレーンの力があったことも事実である。
だが、多くの事業は飛鳥田時代には実現できなかった。金も力もなかったからだ。
それは、飛鳥田氏の後の細郷道一市長の手に委ねられた。
細郷氏は、自治省事務次官で、退官後の職としては、当時はやや「役不足」と見られたが、横浜市長に喜んでなり、飛鳥田時代の計画の実施に当たった。その意味では、大変公平で無私な高潔な人だったと思う。
みなとみらい21の区画整理事業の住都公団(現UR)による施工、みなとみらい会社社長への高木文雄氏の就任など、中央の金と人脈を導入することに大きな功績があった。
次の高秀秀信氏は、道路整備にはご功績があったと言うべきだろう。
また、現日産スタジアムの横浜国際競技場建設は彼の力だと言ってよい。国費、公園建設の補助金を獲得して来て、スタジアムを作った。

総じて、飛鳥田氏は、市長時代は歴史残る功績を挙げたと言える。
だが、請われて日本社会党委員長になってからは惨めだった。
それは、市長、知事という大統領と国会議員との差である。
市長にいかに大きな権力があるかは、今の阿久根市長の「悪行」でもよく理解できるだろう。
市長はやろうと思えば何でもできるのである。それを阻止するのは、最後は司法しかない。

皮肉なことに、市長に絶大な力があることを再認識させられたのは、飛鳥田氏の議員転進だったと言うわけである。

さて、中田宏前市長には、どんなご功績があっただろうか。
私は、ゴミの減量化とクール・ビズ、ノーネクタイ運動だけは、彼の功績だと思っている。
参議院の通常選挙では、どんな評価が出るだろうか。多分、厳しいと思うが。

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コメント

  1. 洞澤 より:

    Unknown
    拙文へのコメントばかりではなく、わざわざ項を新たにエントリーを起こしていただいて光栄に存じます。さて、拙文でも記しましたが飛鳥田時代は小生の小学生時代。その社会科の副読本に「六大事業」が華々しく書かれていたのを良く憶えておりますし、実現したらどんな素晴らしい都市になるのだろうとの夢が感じられました。ただ現実の自分の身の回りはそのような夢の施策よりも下水道普及率の低さや石炭ストーブが残っている小学校などずいぶんと貧しい部分の落差を感じたものです。ただこれは飛鳥田市長といいうよりは昭和40年代の革新市政共通の対中央政府との関係も大きかったのだと思います。その意味で政治の季節が終わった後、引き継いだ細郷市政は警保局とは違う旧内務省系列の最良の人材による市政だったということでしょうか。そして内務省統治の本質がナショナルミニマムの計画的な整備というものにあるとしたら、後任の高秀市政を含めて平成に入って、その整備の目鼻がつくと急速に存在価値が低下していったのはこれもまた時代の流れなのでしょう。そして中田市政は?指田様のご指摘程度が功績とすれば、300万都市の市長として物足りなさを感じてしまうのが正直なところです。

  2. さすらい日乗 より:

    そのとおりです
    飛鳥田、細郷、高秀と横浜市民は、それぞれの時代にふさわしい市長を選択してきました。
    中田市長も、1期目は良かったと思う。
    2期目のとき、得票率70%が彼を増長させたが、やはりその程度の人間だったといいことでしょう。