秀山祭 『荒川の佐吉』ほか

初代中村吉右衛門を記念し、彼の俳名・秀山から取って秀山祭が新橋演舞場で行われている。
歌舞伎座は再建工事中である。

例によって序幕は舞踊で『月宴紅葉繍』 梅玉と魁春の在原業平と小野小町の舞踊だが、面白くもなんともない。
二番目は、二代目中村吉右衛門の『沼津』で、十兵衛。
義太夫狂言『伊賀越道中双六』の一部だが、肝心の荒木又右衛門の「鍵屋の辻の36人斬り」の仇討の話はほとんど上演されず、この狂言では『沼津』のみが演じられる。

裕福な呉服屋になった十兵衛と、実は父の雲助平作が、敵討ちの敵と味方になっている悲劇。
老いてろくに荷を担げなくなった雲助平作のおかし味など。
私は、先代片岡仁左衛門の平作で見たことがあるが、ここでは中村歌六。
彼は、今まで萬屋一門だったが、今回から播磨屋一門に復帰したとのことで、口上もある。
どういう背景があるのか我々素人には分からない。
多分、中村錦之助が名乗った萬屋一門の意味がなくなり、当代の吉右衛門の地位がきわめて向上したので、その一門に入った方が良いとの思惑だろう。
萬屋錦之助が亡くなって13年も経っていたのに、萬屋一門が存続していたことがむしろ驚き。
多分「13回忌の年忌が明けたので、この際復帰に」と言うようなことだろうが、歌舞伎の世界はよく分からない。

次は、真山青果作の『荒川の佐吉』
片岡仁左衛門が佐吉を演じ、大工から渡世人になり、親分の段四郎を斬った浪人者の中村歌六に、最後は勝つ。
土地の大親分の吉右衛門の政五郎からショバを任されるが、一人で旅立つ。

ヤクザ映画でもさんざ見たような筋立てだが、そこに盲目の子を育て、最後は生みの親に返さざるを得なくなる「父もの」の悲劇が絡む。
先代の市川猿之助も演じた役だが、元は市村羽佐衛門のために青果が書いた戯曲だそうだ。
通俗的な劇だが、やはり真山青果の台詞がすごい。

片岡仁左衛門の台詞には、大げさに言えば、現在の野田秀樹の芝居の主人公たちの陶酔的な告白に通じるような快感があった。
多分、昭和初期に真山青果の芝居を見ていた観客には、市川佐団次や猿之助の台詞に、今日の我々が野田秀樹や唐十郎の劇を見るときの陶酔感を経験していたのかもしれないと思った。
岡鬼太郎などの昔の劇評をもう一度、そういう目で読んで見ようと思った。

市川染五郎が、『荒川の佐吉』で仁左衛門の弟分を好演している。こういう風に自分を殺して芝居に殉じている若者を見るのは気分が良く、将来は本当に優れた役者になるだろう。
親の躾が良い性か、あるいは妹松たか子が、芝居や映画で大活躍しているので、それに刺激されてのことだろうか。

最後は、坂田藤十郎の舞踊で『猩猩』
これまたどうでも良い代物。
新橋演舞場 「秀山祭」

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