1960年代、演劇が好きな連中の中で、いかに劇作家・福田善之の人気がすごかったかは、今の人には想像できないだろう。
私が、高校の演劇部に入ると、たまに遊びに来る先輩は、福田が作・演出した劇『真田風雲録』がどれほど面白かったかを語ってくれた。
すでに福田善之は、新劇から離れ中村錦之助らの商業演劇に活動の場を移していたが、同時にTVドラマには役者として頻繁に出演していた。
テレビマンユニオンを作る村木良彦演出、芦川いづみ主演のTBSの『陽の当たる坂道』で大学教授、NHK大河ドラマでは軍師竹中半兵衛を演じていた。
そして、大学の劇団に入ると、そこは福田善之の彼単独としては処女作『長い墓標の列』を初演した劇団としての伝説が伝えられていた。
1957年12月の初演の時は、なんと5時間半もかかったというが、その異常な長さにもかかわらず誰も帰らなかったほどのものだったそうだ。
唐十郎から寺山修司、鈴木忠司らその後のアングラ世代は勿論、井上ひさしも『真田風雲録』には大きな衝撃を受けたと書いていた。
さて、新国立劇場が、この戦後の新劇の名作の一つを上演することは非常に意義があり、芸術監督で演出の宮田慶子の意図は高く評価できる。
そして、初めて政治学者河合栄次郎の昭和13年からの苦闘を描くこの劇を見て感じたのは、戦前いかに知識人と庶民の世界が隔絶していたかだった。
東大経済学部教授の河合は、以前はマルクス主義者と戦ってきたが、進行する新体制、革新化の中で、統制経済を標榜する連中と戦うことになる。
そして最後、彼は東大総長平賀譲の「平賀粛学」裁定によって大学を追われることになる。
河合とその弟子たちが唱えるのは「大学の自治」だが、1970年代の全共闘運動を見ている私たちには、この「大学の自治を守れ」は虚しく聞こえる。
そんなものは、満州事変から日中戦争、新体制運動へと動員され、満州事変以後の軍需景気の恩恵に浴していた庶民には、無関係なことだった。
こうした大学の知識人と庶民の隔絶を象徴するのは、1幕の最後、河合がレコードを蓄音機で掛ける場面である。
そこから流れて来るのは、映画『愛染かつら』の主題歌、霧島昇の歌う「花も嵐も踏み越えて 」の『旅の夜風』なのである。
普通ならば、ベートーベン等のクラシックが掛かるだろう、このシーンでの『旅の夜風』の効果は素晴らしい。
河合は、実家が下町の酒屋だったので、自分たち知識人と庶民との意識の違いをよく知っていたのだと私は思う。
戦前、戦中のわ国の戦争体制への突入に、最も積極的だったのは、庶民であり、新聞、映画等のマスコミだった。
陸海軍や政治家は、日本の軍隊の実像を知っていたので、むしろ及び腰だったのは現在では常識だろう。
その意味で、今日の日本は、戦前、戦中とは明らかに違う社会になっており、勿論それは良いことである。
上から下までが、同時にWBCの結果に一喜一憂するなどというのは、戦前では到底あり得なかったことである。
戯曲として見れば、やはり福田の台詞術の上手さに感心させられた。
また、木下順二の劇『風浪』からヒントを得たという、河合の周囲にいた青年たちの挫折、転向はやはり苦い味が残る。
役者では、統制経済派だったが、平賀粛学の喧嘩両成敗によって大学を追われる教授を演じる石田圭佑が良い。
河合の村田雄浩は、前は気になった台詞を歌うクセがなくなり、最後はバセドー病による心臓発作で急死する激情家の河合栄次郎をよく演じている。
学生には、新国立の研修所出の若者が多数出ていたが、昔の私たち学生劇団の演技もこんなものだったのかと思った。
ただ、前半はかなり退屈で、眠っている人が多く見られた。
新国立劇場