江波杏子と藤純子の差

1960年代末のヤクザ映画全盛時代、見ていたのはやはり東映で、大映や日活のは敬遠していた。
だから、江波杏子の『女賭博師シリーズ』もほとんど見ていなかった。
今回、CSの日本映画専門チャンネルのシリーズで見て、藤純子と江波杏子の違いがよくわかった。
違いは簡単で、江波の『女賭博師』は、現在の現代劇であるが、東映のヤクザ映画は、明治、大正、せいぜい戦前を時代とする、時代劇であることだ。
これは、現代劇中心の大映東京と、時代劇専門の東映東京の違いでもある。
勿論、東映東京でも、高倉健主演の『昭和残侠伝』シリーズを作っていたが、これも時代は、大体戦前までで、戦後はなかったと思う。

ヤクザ映画は、所詮は大嘘なのだから、歌舞伎のように華麗な世界にした方がドラマが盛り上がるのは当然である。
最後の、殴り込みのシーンに流れる歌をバックに、降りしきる雪の中を土手の道を延々と歩くのは、完全に文楽、歌舞伎の道行である。
だが、時代劇化にはセット、美術、衣装など、多額の費用が掛かるものとなる。
すでに斜陽化し、多額の予算が掛けられなくなったいた大映東京が現代劇で『女賭博師』シリーズを作ったのは当然で、また本来は西欧的なルックスの江波杏子が和服で賭博師を演じる矛盾が逆に魅力になったのだが、歌舞伎的な華麗な世界を作ることは出来なかった。
それが、東映の藤純子との差になったのだとあらためて思った。

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