『愛情』

東北の温泉地に画家の清水将夫が来て、そこでかっての美少女の坪内美詠子に会い、20年前に清水の甥で学生だった長門裕之のことを思い出す。
そして、彼女から、長門が自殺した本当の理由を聞く。
これが非常に理解しにくい話なのである。

その鄙びた温泉に、女学校四年の美少女浅丘ルリ子は、姉の山根寿子と娘の仁木てるみと来ていて、高校(旧制高校の一高とのこと)受験の勉強に来ている長門と知り合う。
長門が名を名乗ると、
「あなたが県で一番の野上さんね」というほどの名の知れた秀才だったのだ。

そして、互いに好きになり、山に登ったり、トロッコに乗ったりする。

だが、ある夜、近くで火事が起きた時、山根はすぐに現場に現れず、また長門の部屋も電気が消えていて遅れて彼も姿を見せる。
山根の夫の金子信夫が来たので、夫婦と娘を同室させるわけにはいかないと、浅丘を長門の部屋に寝かせる。
夜中、長門は浅丘の布団に入ってきて、浅丘が拒否すると、
「火事の日の夜もそうだったではないか」と言う。
すべてを察知した浅丘、
山根も実は長門が好きで、同衾していたのである。
翌日、浅丘、山根、金子たちが旅館を発つとき、長門が行方不明と分かる。
冬山で、長門は手首を小刀で切って死んでいたのである。
この自殺に意味は良く分からない。
中原中也風の「汚れてしまった悲しみに」なのだろうか。
それとも、浅丘に対してしてしまった行為の恥ずかしさなのだろうか。
清水は言う、「彼は神経衰弱でした」それが原因だろうか、過剰な受験勉強によるノイローゼなのだろうか。
むしろ、年上の女性に誘惑されて一夜をすごしたのなら、三浦じゅん風に言えば、「こんな極楽があるだろうか」であり、自殺はあり得ないことになる。
長門をノイローゼにするような戦前の古いモラルを批判しているのだろうか。
山根は、日活では貞淑な妻役が多かったので意外だが、ここでは数年後に男を作って金子のところからいなくなったと言われている。
色情狂的だが、そうは見えず、これも非常に変だった。
原作は石坂洋次郎なのだから、さらに分からなくなる。
この堀池清という松竹大船出の監督の抒情的な作品が公開された一ヶ月後、石原慎太郎原作の『太陽の季節』が公開されて大ヒットになるのである。
神保町シアター

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