永井荷風と古川ロッパとの差

先日、永井荷風の『断腸亭日乗』を読んでいて、以下のような記述を発見した。

近頃ラヂオの放送に古川緑波という道化役者水戸黄門のことを演ぜし處、水戸の壮士等これを聞き黄門を辱しめたるものなりとて凶器をふところにして上京し、役者緑波を襲ひ、また放送局に至りて何やら不穏の談判をなせしと云う。銀座にて聞くところ

さっそく『ロッパ日記』の昭和12年3月にところを調べてみるが該当する記述がない。

実は、『ロッパ日記』には、女性関係など、問題のことは書いていないようで、このような事件も記述していないようだ。

そのことは、やはり永井荷風と古川ロッパとの差を感じずにはおられない。

言うまでもなく、『断腸亭日乗』の時の荷風は、大学等の職はなく、まったくの自由人の文学者だった。

だが、昭和に入り、日記に書かれている時のロッパは、有名な喜劇役者であり、東宝に専属し、ロッパ劇団の代表でもあった。

その意味で、ロッパは組織の人間であり、荷風のように、なんでも自由にものが言える人間ではなかったのだ。

荷風の持っていた態度の凄さを改めて感じた次第だ。

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コメント

  1. 横から失礼 より:

    このブログの10日後のエントリーに出てくる山本一生氏の著書には、ロッパ日記に女性関係が書かれていないのではなく、ロッパの死後に日記を公刊する際、監修者の滝大作氏によって削除されたとあったはずです。
    そうすると、日記の女性問題記述に関しては、
    >そのことは、やはり永井荷風と古川ロッパとの差を感じずにはおられない。
    とする前提が崩れてしまいます。

    あるブログのコメント欄で、日乗さんは黒澤の『白痴』について、
    >この映画を評価するのは大変に愚かしいことです。なぜなら1時間もカットされ、途中はタイトルで説明するという具合なのですから。
    と書いていますね。
    それならば、かなりのカットがあったらしい晶文社版ロッパ日記を根拠にして、
    >ロッパは組織の人間であり、荷風のように、なんでも自由にものが言えるいんげんではなかったのだ。
    と断じるのは“大変に愚かしい”のではありませんか?
    (そりゃあ、ロッパは隠元ではなかったでしょうが笑)

  2. 古川ロッパと永井荷風の立場の違いの一例としてあげたまでで、二人の立場の違いには変わりはないと思います。
    『白痴』については、一作品で1時間もカットされたものに対し、それでの評価は難しいし、黒澤明には酷だと思います。

    誤変換のご指摘、ありがとう、いずれ訂正します。

  3. 弓子 より:

    1時間分もカットされたら、
    心血を注いで作品に臨んだ人達からしたら
    たまらなかったでしょうね。

    黒澤監督が上層部に
    〉カットするなら縦にカットしてくれ!
    と抗議した時があったそうですが
    この「白痴」の作品の時だったのですか?

    黒澤作品は、難解だ。
    との定評が一時期あったそうですが
    こういう経緯が原因だったのでしょうか。

  4. これの原版(カット以前のもの)については、いろいろな噂があり、熊井啓が見つけたとか、あるいは北朝鮮にあるというのもありました。
    前の首領様の金正日は、内気な人で映画が趣味だったそうで、世界中の映画をコレクションしているという噂でした。
    彼の内気は相当なもので、人前で話すのが大の苦手で、大衆の前で演説したのは1回しかなかったとのことです。

  5. 弓子 より:

    初めて知ることばかりで
    ありがとうございました。

    金正日は、「男はつらいよ」のファンで全作品、揃えている
    というはなしは、特集の時に知りましたが。