京浜急行120年

京浜急行が創立120年だそうだ。

と言っても本線ではなく、大師線である。大師線は全国でも3番目、関東では最初の電車路線である。

日本の電車は神社仏閣との関係が深く、一番目は京都の市電、次は伊勢参宮鉄道、次が川崎大師となる。

京浜急行は、駅名に傑作なのが多く、今もある青物横丁、六郷土手、雑色(ざっしょくではなく、ぞうしき)も実にユニークな駅名だが、昔は学校裏というのもあった。

昔は、北品川の次の駅には北馬場、南馬場があり、ここは異常に近い駅で、歩いても3分くらいの距離で、今は両駅を一つにしてつないで新馬場駅になっている。

以前、三浦海岸に行く時、隣にいた女性たちが、YRP野比に来たら、

「YRPって米軍の関係施設なのかしら・・・」と言い合っているのには笑った。YRPとは、横須賀リサーチパークで、米軍とは全く関係ないのだ。

因みに、京急川崎、京急蒲田は、昔は京浜川崎、京浜蒲田と言っていた。

1933年の成瀬巳喜男監督の『君と別れて』には、蒲田から金沢八景に、磯野秋雄と水久保澄子が、たった1両の湘南電車に乗っていくシーンがある。

沿線は非常に変わっているが、金沢の柴町はほとんど変わっていないように見える。もちろん、サイレント映画である。

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