『異国の丘』

言うまでもなく、作曲家吉田正が、ソ連のシベリアの収容所に抑留されていたときに作った曲であり、帰国する前に、日本で先に戻った兵士により伝えられ歌われていて、竹山逸郎の歌でヒットしていた。
これが作られた1949年には、吉田は帰国していて、この映画の最後、主人公の上原謙と花井蘭子夫妻の息子の渡辺茂夫らが、病院で慰問演奏をするときに、吉田自身も出て来て歌っている。

話は、クラシック音楽を愛好し、会社から帰宅しても、夕食をとる前にバイオリンを弾く趣味人の上原謙と、貞淑な妻花井蘭子の悲劇で、この悲劇を作り出した悪者は、勿論ソ連。

ソ連が、戦後、中国にいた日本人兵を捕虜としてシベリアに連行し、労働をさせたことの不当性を訴える作品であり、反共の闘志渡辺邦男の面目躍如。
確かにソ連の捕虜シベリア連行は、国際法違反だろう。
だが、今日では、それは戦後、自分も捕虜になった陸軍参謀瀬島龍三が、ソ連と取引した結果だと言う説もあり、真相は複雑である。

上原と花井は、平凡に見合い結婚するが、幸せな生活で、息子と娘を得る。
だが、上原は出征し、中国からソ連のシベリアに連れて行かれてしまう。
出征した親戚や友人らは、皆帰国してくるが、シベリアに抑留された上原だけが、昭和23年になっても帰国できない。
だが、花井は、バイオリンとピアノの上手な子になった二人を抱えて、困難な生活を明るく前向きに生きていく。
この息子でバイオリンの渡辺茂夫は、当時天才と言われた少年で、後にアメリカに留学し、そこで亡くなったそうだ。
渡辺邦男監督は、自らもバイオリンを弾くのが第一の趣味で、彼のスタッフ、キャストは、その下手な演奏から逃げるのが大変だったと(まるで落語の『寝床』だが)丹波哲郎が言っている。

渡辺邦男と言うのは、言うまでもなく戦後の東宝ストで、反組合派の中心にされた人物(本当は長谷川一夫だったらしいが、組合支持派に衣笠貞之助監督がいて、衣笠は恩師であるので長谷川は表立てなかった)だが、大変面白い人で、面白いエピソードが多い。

当時は、ほとんどの撮影がアフ・レコだったので、撮影しながら監督は口で役者に指示をするものだった。
あるとき、男女が温泉の風呂に入るシーンがあり、男女の俳優に色々と指示している内に、次第に興奮してきて渡辺は、そのまま風呂にドボンと落ちてしまったという。
結構、単純なというか純粋な人だったのだろう。
昔、『シャボン玉ホリデー』で、なべおさみがやっていた、キントト映画のハンチングの監督のモデルは、渡辺邦男のだと言われている。

また、渡辺邦男と言えば、『明治天皇と日露大戦争』で挿入される詩吟のように、浪花節的センスと言われたが、同時にバイオリンを愛好するような西欧的な趣味もあり、極めて日本的なものと西欧的なものが混在した人だったと思う。
こうした混合性は、彼のみならず、沢島忠、マキノ雅弘らにも共通するものである。

この映画で、花井蘭子がピアノを弾くシーンがあり、実際に弾いているように見える。
別の作品で、彼女が三味線を弾く場面を見たこともあり、昔の役者は多彩な技能を持っていたものだとあらためて感心した。
横浜市中央図書館AVコーナー

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コメント

  1. umigame より:

    『異国の丘』
    渡辺茂夫は留学先のアメリカで亡くなったのではなく、睡眠薬による自殺未遂で意識を失って帰国し、回復しないまま1999年に亡くなっています。この真相は不明ですが、アメリカの音楽事情をある程度知る者には、義父の渡辺氏が信じたような、陰謀を感じないわけにはいかないところです。渡辺茂夫の運命は日本という国を象徴していたともいえるほどの悲劇的で深い意味を持っていると思います。その渡辺茂夫をここまで使って映画を作っている渡辺邦男監督は、高い評価に値すると思います。私はこの映画を中学生の時に観ましたが、それ以来大好きな監督です。
    往年の大女優にはピアノやバイオリン、琴といった楽器を演奏できる人、歌のうまい人、日本舞踊の名人が多いことは事実で、今の女優はとうていそれに及ばないでしょう。ピアノについては、私が確認したところで上手に弾けた人は、高峰美枝子、原節子、杉村春子といったところです。戦後の女優ではこれに匹敵するのはせいぜい吉永小百合くらいですね。今はもう全然駄目です。

    • きよみや より:

      アメリカは日本の宝を悉く奪って行きましたね。
      その心境はジェラシーにあったというのが真相でしょう。
      人種差別の壁も低くなったとは言え、今でも確実に残っているのです。