「あまり優秀な助監督ではなかったが・・・」

根岸吉太郎特集の『狂った果実』と『キャバレー日記』上映後にトークイベントが行われ、元助監督の先輩で、監督デビュー作『情事の方程式』のプロデユーサーで、今はアルゴピクチャー代表の岡田裕氏が、助監督時代の根岸監督について言った言葉。

彼は、チーフ助監督は経験せず、20代で監督になったもので、大島渚らのヌーベルバーグ以外では、東宝の恩知日出夫以来だったのだそうだ。

要は、監督と助監督の資質、役割は本質的には違うということだろう。

根岸の良いところは、多様な作品を比較的難なく作っていることで、作家性が強い最近の監督では珍しく、その意味では職人的でもある。

スクリプターの白鳥あかねさんから、ATGの『遠雷』の際の最後の、『私の青い鳥』を歌うシーンの撮影のことが話された。

これは予算の少ない作品で、この場面は多くの無料参加のエキストラ等を入れた大変な撮影で、当日は60カットを一日でやる強行軍だった。それが段取りどおりに撮影でき、ラストの歌が上手くいって、スタッフは「ああ良かった」と安どした。

ところが、根岸は「もう一度」と言い、再度撮影したそうだ。

                  

彼は、永島敏行の妻・石田えりが、号泣しないのが不満で、二度目の撮影の前に石田を打って「いいから泣け!」と言い撮影に入ったとのこと。

岡田氏が言うまでもなく、あの「クククック・・・」の桜田淳子の歌を唄う永島敏行のシーンは、日本映画史に残る名場面だったと思う。

根岸吉太郎、白鳥あかね、岡田裕、3人はすべて早稲田大学の出身である。

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