戦前は大きな格差社会だった 「電気機関車型社会」

今朝の東京新聞の「私の東京物語」で、元暮らしの手帖の小榑雅章さんが、母親が靖国神社への参拝をやめた経緯を書いていた。

彼の父は、レイテ島で戦死し、母親は毎年8月に靖国神社へお参りに行っていたとのこと。

だが、ある年から、それをやめたのだが、その理由は東條英樹たちの恩給は、普通の兵士の10倍であることを知ってからだという。

勿論、職業軍人と一般の兵士との間に、元の報酬の差があったのは、ある意味当然で、それを基に算出される恩給に差があったのも仕方のない面はあったのかもしれない。

だが、それ以上に大きかったのは、戦前は格差社会であり、一般の職員と組織のトップの長との間には、今とは比較にならないような報酬の格差があったことである。

そして、今また小泉純一郎以後の自民党政治の中で、格差を増すような方向の施策が取られてきた。トリクル・ダウンんが嘘であることは今や常識になりつつあるだろう。

簡単な比喩で言えば、「電気機関車」と「電車型列車」との差であると思う。

かつて特急列車は、先頭に電気機関車があり、動力のない客車を引っ張る方式だった。

その方がスピードが出て効率的だったと思われていた。

だが、今では新幹線のように、各列車すべてに動力があり、全体で速度を出すようになっている。

日本のように、高度な成熟しかつ人口の多い社会で、ほんの少数の「機関車」たる能力ある者が、大多数の普通の人間たちを牽引してゆくなどは不可能なことなのである。

やはり、格差社会は間違っていると思うのだ。

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