『われ巣鴨に出頭せず』

作家工藤美代子による近衛文麿の伝記。
詳細に調べてあるが、正直に言えば余り深い洞察はなく、なぜ近衛が占領軍の命令に反して巣鴨の収容所には行かず、出頭の朝に自殺したかは、良く分からない。

ただ、一つだけ面白いと思ったのは、昭和天皇と内大臣木戸幸一、そして近衛文麿という戦前、戦中の日本の天皇制の中心部の3人にあって、その差異性を描き出していること。
この3人は、昭和初期は、反軍部、欧米派、自由主義者として一致していたが、第三次近衛内閣が日米交渉の行き詰まりから総辞職したときにバラバラになってしまう。
木戸幸一が、近衛の後継として東條英樹陸軍大臣を指名したことで、近衛と木戸の対立は決定的となる。
陸軍の皇道派よりの近衛に対して、統制派の中心の東條を総理大臣にしたことの、木戸の意図は、東京裁判でも「毒をもって毒を制す」とのことだが、本当は昭和天皇が、東條の忠実さを大きく買っていたからだろう。
何事にもいい加減なお坊ちゃんの近衛文麿に比べ、真面目で天皇の指令にすべて忠実な東條英樹を昭和天皇が高く評価したと言うことだ。

東京裁判への調査の中で、木戸幸一の罪状を軽くするため、経済学者都留重人、政治学者のハーバート・ノーマンらが、暗躍したと記述されているが、これは初めて知った。
木戸幸一や東條英樹の東京裁判での証言に対して、都留重人が助言役を果たしていたことは、小林正樹の記録映画『東京裁判」でも触れられていたが、裁判以前の予審段階の調査でも都留氏が重要な役割を果たしていたことは知らなかった。
ともかく、指揮者の近衛秀麿と言い、近衛兄弟は大変興味深い人物である。

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