昭和史の一日

7月15日は、母の命日で、本当は先週の土曜日に実家に子供たちが集まる予定だったが、台風で行けなかったので、昨日池上の実家に行き、仏壇に線香を上げた後、兄夫婦と話す。
兄は68歳になったが、二度目の再就職先でも元気に働いているようだ。
池上駅前で、ラーメンを食べた後、東急線を乗り継いで渋谷に出る。

原田尊志さんのレコード店「エル・スール」に行き、注文しておいたファイルーツの『愛しのベイルート』を受け取る。勿論、20前から持っていたが、カセットがいかれてしまい、新たにCDを買うことにした。
ついでに、「グナワ10周年」と「アフリカ映画音楽」も買う。

シネマ・ラセットに行き、『特攻』を見る。
わずか50人の部屋だが、満員で立見も出ている。
監督は日系二世の女性のリサ・モリモト。
彼女は、死んだ叔父が特攻隊だったと知り、日米の生存者をインタビューする。
特に目新しいものはないが、爆撃機で出撃しコルセア戦闘機と遭遇し、戦闘の末、「もう帰ろうか」と同乗者と言い合い、戻ってきた人の話は笑わせる。

特攻隊と言えば鶴田浩二で、昔日劇で鶴田浩二ショーを見たら、最後は勿論『同期の桜』で、天井から糸で吊った無数の戦闘機が降り来る中の絶唱だった。
鶴田が特攻隊ではなく、整備兵だったのは今や周知の事実だが、何度も特攻隊を演じている内に、自分も特攻隊だと信じ込んでしまったと言うが、実に可愛いいではないか。

地下鉄で京橋に行き、ミュージカル『ザ・ヒットパレード』を見る。
言うまでもなく、渡辺プロダクションを作った渡辺晋・美佐夫婦の成功物語で、チョーチン芝居だが、一応面白かった。
戦後、ジャズを始めた渡辺晋は、学生バンドのマネージャーをやっていた美佐と一緒になり、渡辺プロダクションを作る。
ジャズ・ブームは去ったが、ロカビリー・ブーム、テレビの台頭で会社は大成功する。
細かく言えば、テレビの『ザ・ヒットパレード』は、1960年代初頭の言わば、カバー・ポップスの時代の象徴であり、その「混合文化」としての意義が十分に表現されていない。
さらに、ヒット曲として、小柳ルミ子からアグネス・チャンまで歌うのは、いくらなんでも時代が違うだろう。
戸田恵子は、渡辺美佐を演じた3人目の女性だが、それについてはまた書く。

戦中、戦後、そして母親の死と、昭和史、戦後史を歩いた一日だった。

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