『ボヘミヤン・ラプソディ』

大ヒット映画で、平日の昼間だったが、半分くらいの入りで、女性が多い。私の隣の席の若い女性も泣いていたが、それほどとは思わないができは良いと思う。

主人公のフレディー・マーキュリーの生い立ちもきちんと描いていて、パキスタン人だがザンジバルの出とは驚く。

ザンジバルは、タンザニア近くのアフリカの小島だが、人種はマレー系で、インド洋を渡ってマレーから来たのだそうだ。ザンジバルの音楽も非常に不思議なもので、確かにアジア的なところはあり、1990年代に一度来日したことがあり、汐留で公演した。

飛行場でバイトしていたフレディー少年は、幸運にもプロのロックバンドのボーカルになり、LPを出すまでになる。その特徴は彼の高音のボーカルで、インドのプレイバックシンガーの女王ラター・マンゲシュカールの影響を受けていると言えないこともない。また、物語性があるらしい曲も、インド音楽的であるともいえる。

ただ、ラターと全く異なるのがライブのボーカルである。数万曲以上も吹き込んだというラターだが、毎日映画スタジオからスタジオへの吹き込みの日々で、実際に公演で出たことは極めて少ない。私はカセット・テープを持っているが、これはインド国民会議派のラジブ・ガンジーの総決起大会らしきもののライブ録音であり、極めて少ない。

これに対しフレディーの良さは、ライブでのパフォーマンスのすごさだと分かる。最後の方で、クィーンから独立してCBSで西ドイツでソロ・レコードを作ろうするが上手くいかない。それは、やはり気心の知れた仲間とのやり取り出ないと曲ができないのだと思う。

最後、1985年のアフリカの飢餓撲滅の「ライブ・エイド」に昔のバンドと出て大成功になる。

この時、もうエイズに罹っていて、その後6年後の1991年に死ぬことになる。

エイズは、彼の同性愛から来ているが、生前は公表できないなど、英国で同性愛はタブーで、オスカー・ワイルドは処罰されたくらいだ。日本は同性愛については、大変に寛容で、江戸時代の武士では修道として称揚されていたくらいなのだから。テレビでも多くの女装家が出ているのは、その伝統からなのだと私は思う。

彼の死は、ゾロアスター教徒として葬送されたとのことで、本当に様々な文化が複合したアーチストである。

逆に言えば、アイデンテティーが何か少々不明な「ボヘミアン」に相応しい人間だったと言えるだろう。

上大岡東宝シネマ

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