吉川弘文館の本を読むなど久しぶりだが、なかなか面白い内容だった。
明治の選挙制度がはじまって以来、今日まで買収など選挙違反の数は多い。
この本は、それをきちんと実証的にたどったもので、珍しい事実も知った。
選挙は、明治23年の第1回の衆議院選挙の前にも、近世の農村で村の役人を決めるため「入り札」が行われてきたこと。
昭和3年の普通選挙以前は、選挙権が納税額で制限された「制限選挙」だったにも関わらず、選挙運動と選挙違反は、選挙権のない者でも活発に行われていて、それは一種の選挙への参加だったこと。
買収というのも、普通考えられるのとは異なり、もともと投票しようとしていた候補から金を貰うものであり、関係ない人間を金によって自陣に入れるものではないこと。
昭和初期の、後に翼賛選挙につながる「粛清選挙」は、当時の社会の変化、共同体の分解の中で、中央の官僚層からの再編成を目論むものだったことなど。
現在、小選挙区制と政党助成金等による「公営選挙」により、選挙違反は歴史的に見れば、極めて少なくなっている。
それは、間違いない。
現在の都市化の進展で、買収は極めて困難になっており、無理にそれに頼れば、先日辞職した神奈川選挙区の自民党の小林温前議員のように、すぐにばれてしまうのだから。
だが、皮肉なことに選挙違反は減ったが、投票率は、2年前の小泉内閣の「郵政選挙」のような話題性があるときを除き、一貫して低下している。
それは、無関心と言う名の国民の信託なのか、それとも「帝力なんぞ我にあらんや」という東洋的な政治への一種のアナーキズムなのだろうか。