佐藤元英先生の「『昭和天皇実録』が明かす昭和史の謎」の6回目、昨日は「錦州攻撃」だった。
1931年9月、奉天から敗走する張学良軍を追って関東軍は、錦州にまで行く。
この際に、12機の爆撃機が、錦州に爆撃を行い、多大な戦果を上げる。
爆撃機12機が、錦州を空襲し、各機が25キロ爆弾を載せて、全部で75個落とした。
南陸軍大臣は、若槻首相に、中国軍の対空砲火があったからだと報告したが。
軍の施設ではなく、都市に無差別に爆撃するもので、国際条約にも反する攻撃だった。
これは、歴史上最初の航空機による「無差別爆撃」だった。
有名なドイツ軍のスペイン戦争中の、ゲルニカ爆撃の前であり、世界最初の攻撃だったとは、初めて知った。
よく、米軍による広島と長崎への原爆投下は、白人のアジア人への差別があったのではないかとの意見がある。
だが、この錦州攻撃を見ると、日本と日本人の中国人への差別、チャンコロへの蔑視、差別があったのではないかと思う。
満州事変から始まる日中戦争全般には、日本の中国への蔑視、差別感情が根底にあったと私は思うのだ。
そうした奢りが、最終的には日本の敗北にたったのだと思える。
もちろん、地上軍の攻撃もあり、これについては昭和天皇は、実録の記述によれば、
「この程度の戦力で平気なのか」との質問をしていて、昭和天皇も、錦州攻撃については、その賛否について揺れ動いていたとのこと。
昨日で、前半は終わり、4月から後半が始まる。
個々では、国際連盟と事変、松岡洋右の対米認識、リットン報告書、1930年代の国際情勢、満州国の建設、昭和天皇と皇帝溥儀などが続く。
そこでは、溥儀の通訳を務めた林憲次郎氏の手記も使われるとのことで、非常に興味深い。
朝日カルチャー横浜