こつまなんきんとは、大阪勝間地方でとれるなんきん・南瓜で、形は悪いが実が詰まって美味しいく、男好きのする女性の比喩である。
原作は、今東光で、1作目では村の夏の盆踊りで河内音頭として「こつまなんきん」の良さが冒頭に歌われている。嵯峨が働く工場がブラシ工場と、「部落産業」との関連を感じさせる。
主演は嵯峨三智子、相手役は第1作は藤山寛美、続編では三上真一郎だが、安井昌二、河津清三郎、あるいは曾我廼家明蝶、柳永二郎等様々な男を遍歴し、最後は「もう男なんてこりごり」と自立する。
こう書くと、溝口健二監督、田中絹代主演の名作『西鶴一代女』を想起するだろうが、この二作の監督酒井辰雄は、松竹京都で溝口の内弟子だった人であり、なかなか丁寧に演出し、また面白くできている。
寛美、明蝶、さらに浪花千栄子、アチャコなどが出てくるが、みな舞台の人間であり、台詞の間が上手いので、大いに笑える。この辺は、関西喜劇人の層の厚さを感じる。
嵯峨三智子の「男性遍歴物」と言えば、成沢昌成脚本・監督の松竹大船作品に『裸体』がある。
永井荷風原作であり、重厚でかつ有為転変の激しい人生譚で大変面白いものだが、荷風原作のすごさである。荷風は、実際に多くの商売女から実話を収集しており、そのリアリティがすごい。
実際、嵯峨三智子は男性遍歴の激しい女性で、有名なものでも今年なくなった岡田真澄と契約結婚していた他、松竹京都や日活でプロデューサーだった友田二郎、さらに晩年は安藤昇とも一緒だった。
結局、幼くして父と別れ、母親山田五十鈴とも幸福な家庭がなかったことから来た「ファーザー・コンプレックス」だろう。
男性遍歴物と言えば、増村保造監督、若尾文子主演の大映映画『妻は告白する』や渥美マリの『でんきくらげ』『しびれくらげ』も同系列だが、増村も『楊貴妃』のチーフ助監督をつとめており、溝口から大きな影響を受けている。
そして、この男性遍歴物は、テレビ時代では、山口百恵主演の「赤いシリーズ」になるが、このシリーズ全体を構成したのは、実は増村だった。
また、変わったところでは、1960年代のピンク映画にもあり、高木文夫こと本木荘二郎監督作品(『七人の侍』等、黒澤映画の製作者)にも可能かづ子主演の『濡れた素肌』という浅草のストリッパーを主人公にした作品もある。
この『こつまなんきん』シリーズが時代的意味を持っているとすれば、主人公嵯峨三智子が、男の一人で1作目では大農家の息子、2作目では大阪の薬問屋の養子だが、甲斐性なしで転落し、スラムのごとき極貧生活の藤山寛美に再会したとき、「貧しくとも普通の家庭生活が一番幸福」と実感するところで、1960年代の日本の社会の経済的成長と安定によるものだろう。
音楽はどちらも、黒澤明の『姿三四郎』やマキノ雅弘の『次郎長三国志』、さらに東映時代劇の鈴木静一で、単純なメロディーを繰り返し使用して、効果をあげている。
川崎市民ミュージアム。