『マリアの首』

昨日の8月9日は、長崎原爆の日だった。
この長崎の原爆を描いた劇に田中千禾夫作の『マリアの首』がある。
これは、浦上天主堂のマリア像を盗む人たちの話で、ヤクザ、傷痍軍人、昼は看護婦で夜は娼婦という人が出てくる。
この中では、普通の日常会話から、俗語、そして観念的な哲学的な用語までが交わされ、演じる者は、普通の台詞からいきなり観念語まで、飛躍する行為と台詞術が要求される非常に高度な演技が要求される。
こうしたこうした演技は、相当に難しいものであり、戦後の新劇の頂点を示すものでもあった。
当時の新劇の劇団の新人会が上演して絶賛された。
そして、この戯曲は、1960年代に唐十郎に大きな影響を与えたのだ。
唐の作風の、俗語から哲学的な台詞に飛躍する作劇術は、田中千禾夫の『マリアの首』からえたものだと私は思う。
そして、これはさらに野田秀樹へと受け継がれて、現在の日本の演劇の主流になったのである。
つまり、田中千禾夫、唐十郎、野田秀樹という戦後の日本の演劇は、『マリアの首』から始まったと言えるのだ。
それが、今年松村監督で映画化された。
『祈り 幻に長崎を想う刻』で、今月全国で公開されている。

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