炭鉱町の繁栄は大変なものだった

10月7日に、映画『フラガール』は、悪くない作品だが、世界をひどく貧しく描きすぎていると書いた。
実際に九州、佐賀の炭鉱の町に育った知人にメールを出すと、当時は大変な繁栄だったとの返事が来た。

そこには二つの石炭会社があり、二大勢力として君臨しており、会社の持つ様々な厚生施設があり、そこの所長は、市長より偉いと思っていたそうだ。
映画館、総合病院、公衆浴場、幼稚園、運動場、プール、スーパーなどなど。
そして、夏は花火大会や海水浴、秋は運動会や野球大会、冬は大餅つき大会と一年中何かのイベントが行なわれ、大変活気があったそうだ。
何しろ、石炭産業は戦後日本の基幹産業の一つであり、終戦直後は「傾斜生産方式」と言って、国家予算を重点的に投資したのだから。
勿論、昭和30年代中頃からの石油への転換、「エネルギー革命」によって急速に凋落するが、それでも昭和30年代は、かなりの勢いのあった産業だった。
先ごろ、話題だった麻生太郎の麻生財閥も、元は麻生炭鉱である。

さて、勿論『フラガール』は、昭和40年代を時代背景としているので、そのように大繁栄していなくても良い。
だが、富司純子の家に盥が置いてあり、あたかもそれで洗濯しているようなシーンがあるのは極めておかしい。第一、炭鉱夫のような汚れる仕事の家庭で、盥で洗濯はできないだろう。多分、電気洗濯機は、いち早く導入されたに違いない。
また、テレビはあったが、冷蔵庫は見当たらず、畳はぼろぼろ、障子は破けていた。
あれは、映画を面白くするためとはいえ、誇張がひどすぎると私は思った。
今は、時代の変化が激しく物事の区別がいい加減になっているが、時代状況はきちんと描くべきである。

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