日曜日に戸塚で、廿楽さんたちがやっている詩誌『Dwon Beat』の会合があり、私も参加した。
一部は、新詩集『朝起きてぼくは』を出された金井雄二さんと、小熊英二賞を受賞された中島悦子さんの朗読会。
二人の傾向は非常に対照的で、金井さんのは日常的で平易な語り口だが、中島さんのは、相当にレトリックを駆使したものである。
第二部は、1924年に横浜に生まれた、現代詩では多分最長老の平林敏彦さんを囲むというもので、このお話が非常に興味深いものだった。
平林さんは、Y校に在学中に詩を書くようになったが、当時結構様々な雑誌があり、そこには詩の投稿ページと通信欄があり、それで全国の若き新人たちは通信し、情報をやり取りしていたとのこと。今のフェイスブックと同じような仕組みがあったというのは非常な驚きだった。
戦前の昭和10年代、もちろん天皇制国家の弾圧はあったが、その中でも十分に大衆文化が成長し、発展していたことの一つの証拠である。
今回私が出した『小津安二郎の悔恨』の、もう一つの趣旨は、私が高校生の時から「呪縛」されてきた『荒地』派の歴史観、鮎川信夫が『戦中手記』で書いたような戦前は全くの絶望の時代だった、というのから逃れるものだったことに自ら気づいた。
平林さんも、私の質問に対して「本当にひどくなったのは、昭和17年の太平洋戦争が始まってからで、それまでは結構自由な時代だった」と答えていただいた。
拙書をお渡ししてご拝読をお願いした。
終了後、戸塚駅の反対側の東口で飲んだが、少々話しすぎて喉がおかしくなったようだ。
大変に充実した一日だった。本も2冊売れた。