「やはりほんまもんは、できが違うな」

今は角川映画になった大映は、昭和30年代までは洋画の輸入もやっていて、ディズニー映画なども日本では大映の配給だった。
そこで、昭和30年代中頃のある日、大映にアメリカ製アニメが輸入されて社内で試写された。
終わったとき、永田雅一大映社長はこう言った。
「やはりほんまもんは、できが違うな」

ところが、このアメリカから輸入されたアニメは、実はアメリカのテレビ会社の注文によって、前述の持永只仁ら日本のMOMプロが下請けで制作したものだった。
当時から、日本のアニメのレベルは高かったのである。

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