初代喜多村緑郎は

テレビのワイド・ショーでは、二代目喜多村緑郎の不倫が話題になっているが、初代は非常に優れた女形だった。
俗に「ゴテロク」と言われたが、優れた俳優で、多くの新派の演目の演出は、この人の手になるものだったとのことだ。

新派の名狂言に『婦系図』があり、有名な湯島の白梅の場の演出は、実はこの人の手になるものだったとのこと。
お蔦が、早瀬主税から「別れてくれ!」と言われ、「なぜ死んでくれと言わないの、別れろ、切れろは芸者の時に言う言葉、今の私はなぜ死ねとと言わないの」は、この人のものだそうだ。
この喜多村がお蔦を演じると(これは湯島ベンチで演じられるのだが)、いつも同じ場所を指で触るので、1か月公演が終わると、そこだけペンキが剥げたとの伝説がある。
要は、完全に同じ所作の演技だったのだろうと思う。

この人の孫は、文学座で演出、晩年には役者もやった戌井市郎であり、意外にも新派と新劇団の文学座は共通するところがある。
杉村春子の演技はある意味新派的で、テネシー・ウィリアムズの『欲望という名の電車』の主人公ブランチを杉村が演じたとき、
岩田豊雄は「これは違うね」と言ったそうだ。

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