私が、インドネシアのバリ島に行ったのは、新婚旅行のときで、今から58年前だ。
結婚することになり、私はインドネシアを、妻はシンガポールを希望して、バリ島とシンガポール・ツアーになった。
当時、『ミュージック・マガジン』でもアジアのポピュラー音楽がブームになっていた。
ただ、当時はアジア音楽のLP等を扱う店は、きわめて少なく、入手が非常に困難だった。
一番は現地に行って買ってきた人から借りる、交換するもので、私もそれを第一の目的にバリに行くことにした。
妻は、インドネシアにもバリにも興味はなかったようだが、シンガポールでのブランド品の買物が目的だった。
飛行機は、日本航空で成田からまずクアラルンプールに飛び、そこで機体交換してジャカルタに着いた。
そこで、国内航空のガルーダ機に乗り換えた。
ツアー客は、20人で全員新婚だった。
この時の、乗り換えが傑作で、女性添乗員が2人いたが、二人ともインドネシアは初めてとのことで、
ガルーダ機を指して「たぶん、これだと思います」
ともかくバリ島に飛び、無事デンパサールに着いた。
当時、バリ島には大きなホテルはなく、日本の戦後賠償で作られたというバリビーチ・ホテルに入った。
翌日からは、キンタマーニ高原や芸術村、ヌサドア・ビーチでの海水浴などがあった。
そこには、なにもなく、添乗員は「いずれJALがホテルを建てるそうですよ」と言っていた。
ツアー日程だけでは面白くないとのことで、ある夜、二人だけで別のビーチにタクシーで行った。
そこで、海鮮料理を食べたが、安くておいしくて最高だった。
現在のネットで見るバリ島は、コンビニもある土地になっていて、その変化には大変に驚く。
当時、外人観光客で一番多かったのは、オーストラリアの若者で、海岸でボーツとしていて、麻薬をやっていたのだろうか。