急にビーチ・ボーイズが聞きたくなり、映像も見たくなったので、オークションで買ったビデオである。
1960年代初めから80年代初頭まで。
アメリカを代表するロック・バンドとしての栄光と挫折が映像で辿られる。
それは、我々とほぼ同時代の世代の軌跡そのものでもある。
初期のサーフィン・サウンド、特にマイク・ラブの能天気な歌声と軽薄な動きに熱狂するファン。
「そうだ、ああいう軽い時代だったな」と思うと同時に、このファッションや生活スタイルは、今の日本だと思う。
車、アメリカン・カジュアル・ルック、ハンバーガーに、そしてサーフィン。
彼らのサウンドは、実は音楽好きの両親から受け継いだアメリカの白人音楽の最良の部分だった。ジャズ・コーラスのフォー・フレッシュメンの三部コーラス。
ビーチ・ボーイズ、キャロル・キング、そしてカーペンターズが、アメリカのポピュラー・ソングの最良の部分だと私は思う。
だが、1960年代中頃からのベトナム戦争の激化とアメリカ社会の変化の中で、彼らは方向性を失い、リーダーのブライアン・ウィルソンは、会社とのトラブルと精神疾患で音楽活動を停止してしまう。
私は知らなかったが、彼らも時代や社会を歌った曲も作ったが、勿論それらはヒットしなかったようだ。
皆長髪になり、ビートルズのようなファッションになり、マイク・ラブはまるでキリストのような容貌になってしまうのが、実に滑稽である。
本来軽薄な人間が、意味のある重々しい姿をするなど、どうかしているのだ。
そして、80年代に入り、初期のサウンドに回帰しアメリカの最高のバンドとして受け入れられる。
故レーガン大統領と会見するシーンもある。
カルフォルニア知事だったレーガンは、サーフィン・サウンドが好きだったのだろうか。
ちよっと考える不思議だが、彼らのように能天気で中身のない(?)音楽を楽しくやって行くのは結構つらい事なのだ。
以前、女優で歌手のドリス・デイの自伝を読んだことがある。
オール・アメリアン・ガールと言われ、明るく元気なドリスの人生は、実に過酷なものだつた。だが、ドリスは映画や舞台では、常に明るく振舞っていた。
それと同じつらさが、ビーチ・ボーイズのメンバーにもあったに違いない。
そう言えば、ビーチ・ボーイズのメンバーとドリス・デイの三度目の夫の連れ子で、音楽プロデューサーのテリー・メルチャーは仲間で、「シャロンテート事件」の犯人チャールス・マンソンとも付き合いがあったはずだ。
ブライアンの疾患、さらにデニス・ウイルソンの自殺も、アメリカのショー・ビジネスの過酷さ、それによるストレスによるものだろう。
アメリカと日本の戦後の同時代性を改めて感じたビデオだった。