巨人、4連敗で昔の巨人を思い出す

巨人が、日本シリーズでソフトバンクホークスに4連敗し、さまざまなことが言われている。
直接的には、巨人が楽してセ・リーグで優勝したことと、クライマックス・シリーズをやらなかったことだろう。
今年のセリーグは、ひどくて阪神も横浜もダメで、広島、ヤクルトに至っては昔の弱いときに戻ったような状態だった。
唯一頑張ったのが、終盤戦の中日で、大野の良さもあったが、与田監督は結構頑張ったと思う。
たぶん、日程の関係だろうが、セ・リーグはなぜライマックス・シリーズをやらなかったのか、不思議である。
例え、ソフトバンクとロッテでは、力が違うと思われても、決戦をやったことは、ペナントレースからの緊張感が続いたように思う。
対して、巨人は優勝を決めたのも簡単で、その後日本シリーズまで間が開いてしまった。
この二つが、ソフトバンクホークスへの完敗になったと思う。

信じられないだろうが、1950年代末、東京でも巨人はそれほど人気があったわけではなかった。
私は、当時小5の私は巨人ファンだったが、学校の連中には言えなかった。
大田区池上小学校にも野球部があったが、彼らは、意外にも南海と西鉄のファンだった。
子供とは、げんきんなもので、そのときに強いチームが好きなのである。
当時、巨人はセ・リーグでは優勝していたが、日本シリーズになると、西鉄と南海に必ず負けていた。
理由は、簡単で当時の巨人は、川上、別所らが主力の老齢化したチームだったからだ。
新人で広岡が入り、さらに1957年に長島も入って西鉄とぶっかったが、有名な3連勝の後、4連敗で、やはり西鉄が優勝した。
このとき、川上哲治は、「もう私たちの時代ではない、若い稲尾や中西、豊田君の時代だ」として引退した。

当時、セ・リーグでまともなチームは、巨人、阪神、中日くらいで、国鉄(ヤクルト)、広島、太洋(横浜)は、ほとんど論外的チームだった。パ・リーグは、南海と西鉄が絶えず優勝を争っていたので、その結果出てくるチームには強さがあった。大毎(ロッテ)が合併球団(大映と毎日)だったので、戦力が充実していたが、阪急(オリックス)、東映(日本ハム)、近鉄(オリックス)は、これらもほとんど論外レベルだった。阪急は、西本、東映は水原、近鉄は三原が、それぞれ監督になってやっと普通のチームになったと思う。

セ・リーグは、東京ドーム、神宮球場、横浜スタジアムと、半分の球場がみな狭いのが最大の問題で、長期的には、これらを改修するしかないだろう。フェンスを後ろにするのは大変だから、網のフェンスでも高く張ってホームランを減らせば、セリーグの打者の力も上がるのではないだろうか。
その意味では、甲子園をホームにしている阪神の大山が、巨人の岡本に2本差としたのは、阪神ファンの私は偉いと思うのだ。

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