正月には・・・

これは、もう60年以上前のことだが、私の父親は、大田区の小学校の校長をしていた。
そして、毎年正月には、その学校の教職員全員を招いて、正月の祝いをやっていた。
私の昔の家は、明治時代の作りで、床の間のある真ん中の部屋は、10畳くらいで、その前にも8畳くらいの部屋が付いていたので、襖を取ると30人くらいが入れるようになっていた。昔の家は、そのように出来ていた。
たぶん、正月の3日の午後だと思うが、教職員が来て宴会が行われ、おせち料理が出される。
もちろん、酒も出る。私は、小学校に入った程度なので、その宴会の手伝いはしなかったが。

料理は、年末に母の指揮で姉たちが総出で作ったのだ。
当時は、餅も家でついていた時期もあり、正月の支度は家の家族の手によるものだった。
よくもそんなことをしたと今考えれば思うが、酒、たばこを一切やらず、非常にまじめだった父にとって、一年唯一の職員との交流と慰安の場でもあったのかもしれない。
当時は、「青年よ銃を取るな!」のスローガンの下、
日本社会党と日教組の力は非常に強かった。
これに対して文部省は、勤務評定制度や道徳教育を導入し、組合との対立は激化していたのだ。
両者の板挟みとなった校長は大変だったと思う。

こうした緊張関係の中で、1957年夏、道徳教育の講習会で、父は54歳で、脳梗塞(当時は脳軟化と言われていたが)で倒れてしまう。
さらに3年後の1960年3月、1年前に異動した別の学校で倒れて急死してしまう、57歳だった。

思えば、私も市役所に40年いて、上司の家に招待されたのは、ある局長が自分の家を新築したとのことで、その披露に呼ばれた時だけだった。
そう考えると、父親のやっていたことは非常に珍しいことなのだろうか。
母に言わせれば、この正月の宴会で、12月のボーナスはなくなったと嘆いていたとのことだ。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする