新資料なし 2.26事件

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先週は、2.26事件が起きた日で、秦郁彦先生は
「日本には2.26事件産業がある」とのことだったが、今年は新資料はなかった。
もう80年以上前のことだから無理もない。

この2.26事件が、歴史的に大きな事件となったのは、近代史で唯一のクー・デターであるからだ。
そして、この事件は、戦前の日本と大日本帝国憲法の矛盾を表現していた点でも大変に重要な事件である。
その矛盾とは、戦前の日本は政治的には立憲君主制を目指していたが、軍事とその精神には封建的な「統帥権」を保持していたことにある。
昭和天皇と側近たちは、日本を西欧に比すべき立憲君主制を目指していたが、軍事には統帥権があり、これの矛盾が昭和初期の恐慌から来た国民の不満のなかで、「天皇親政」の軍事国家を目指すという誤りが生まれたのだ。
つまり、昭和天皇は、政党による近代的な国家運営を望んでいたが、民衆や軍隊の一部は、天皇は直接自分が政治をしたいはずだとの誤解から、「尊皇倒奸」をスローガンに国家変革を起こそうとしたのだ。
だが、昭和天皇は、通常の政党による政治を望んでいたので、決起した連中に対して
「余が近衛兵を率いて討たん」と言ったのだ。
いかに情報が正しく伝えてられていなかったかの「悲劇」である。

映画的には、最初の映画化である佐分利信監督の『叛乱』が優れていた。もっとも、これは撮影中に佐分利が倒れたので、大部分は阿部豊が監督したとのこと。
また、1989年には、五社秀雄監督で『2.26』があり、私も横浜のオデオン座で見た。
ところが、この映画館は単独の建物で屋根が鉄板だった。
見ている最中に集中豪雨があり、大きな雨音で台詞がほとんど聞こえず、ショーケンの怒鳴り声のみが記憶に残る。

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