ねじめ正一の小説『荒地の恋』を読んだ。
私も高校時代は、現代詩を読んでいて、特に『荒地派』の詩人たちは大好きだった。中原中也や四季派などは、古い、女子供の詩だと馬鹿にしていた生意気な高校生だった。
鮎川信夫、田村隆一、黒田三郎、そしてこの小説の北村太郎。
吉本隆明も初めは詩人として知った。
詩人田村隆一の四番目の妻明子と北村太郎が恋仲になり、朝日新聞部長松村文雄として平和な家庭生活を送ってきた北村太郎が家出して、明子と同棲する。
新聞社を退職した彼は、前半生のサラリーマン松村文雄から、詩人北村太郎として後半生を生き、天国と地獄を往復し、旺盛な詩作を行う。
戦後すぐ以来絶えていた詩作活動を再開する。
田村隆一は、完全に無頼な生活を送っていて、言わば彼から逃れるために明子は北村のところに飛び込んで来たのだ。
明子、田村、北村の奇妙な三角関係もある期間は続くが、当然長続きはしない。
田村のアルコール中毒、そして明子のうつ病。
北村は、北村の詩に憧れてきた若い看護婦とも恋に落ちる。
ある日突然、中桐雅夫が、そして鮎川信夫が死ぬ。
鮎川の葬式で、始めて会う妻の最所フミがいた驚き。
英文学者・最所フミは、「荒地」の同人の一人で近年は、老子思想の教祖として有名になっている加島称造と戦後すぐは結婚していたのである。鮎川は独身だとされ、誰も私生活を全く知らなかったのである。
最後、北村は血液の難病におかされ明子の下で死ぬ。
いずれにしても、この本は、戦後詩をリードした「荒地派」のメンバーの実相が分かる貴重な資料である。
書かれていることの細部は異なっているかもしれないが、概ね事実はそうだろうと思う。
荒地派と言っても、実は皆バラバラで、若い一時期に同じ夢を見たに過ぎない青春の残酷さが改めて分かる。
青春と言うものは、そんなものなのだろう。
ねじめ正一氏の文章はあまり美しくないと思うのは、私だけだろうか。