ロス疑惑事件の三浦和義氏が亡くなられた。自殺だそうだ。61歳と私と同年代であり、無関心ではいられない。
ロス疑惑事件については、いろいろ問題があるが、それについては触れない。
彼が、なぜ様々な事業を起業し、その果てに事件を起こしたか、について考えて見たい。
それは、彼の十代の体験にあったと思う。
彼は、横浜市立戸塚高校に入る。
高校では、生徒会長を務め、善行表彰を受けるほどだったと言う。
その一つが、火事を発見し通報したことだったが、後にそれは自らの放火であることが分かり、放火犯として、7年間刑務所暮らしになる。
1966年から1973年までの間である。
この間の日本は、高度経済成長の真っ只中であった。
1964年の東京オリンピックを経て、日本中は繁栄に沸いていた。
そこでの彼の出所である。
彼は、その社会の変化、激変に驚いたに違いない。
彼にとっての「失われた7年間」を取り戻すため、彼は様々な事業を起こし、いくつかは成功する。
その過程では、随分危険な、あるいは事件性のあることもやったようだ。
最初の妻の行方不明事件などは、相当に怪しい事件である。
そして、ロス疑惑事件になる。
島田壮司の大著『三浦和義事件』を読んだ限りでは、ロス疑惑事件について、三浦氏も共謀とされた日本人も無罪であるようだ。
その意味では、日本の裁判所が出した無罪の結論は正しいと思える。
ただ、問題は今回の共謀罪である。
恐らく、アメリカで三浦氏から事件を依頼された人物(恐らくプロの殺し屋だろう)、それが別の事件で逮捕され、司法取引で、三浦事件の共謀も自白したのだと思う。
だが、裁判開始まで、検察側はそのことを法廷作戦上一切明かさなかった。
そのため、今後も共謀罪の経緯は永久に明かされることはなく、永遠の謎となるであろう。
それとも、また別の事件等で明るみに出てくることもあるのだろうか。