ぐらもくらぶ CD『ニッポン・モダンタイムス~日本のスイング・エラ』制作中

11月から来年1月にかけ、テイチク、ビクター、キング、コロンビアのメジャー各社から戦前・戦中のジャズのレコードの復刻CDが出され、現在制作中ということで、そのイベントが行われた。
そして、監修の瀬川昌久さんに、実際に体験し、感じられたことをお聞きしようと、ぐらもくらぶの保利さん、さらに30代のジャズ評論家柳楽さんの3人。
さらに、USTREAM での中継もされ、そこでの中継を見ての質問もスライドで投影され、そこからも瀬川さんへの質問も追加された。

私が、戦前のジャズに興味を持ったのは、先日亡くなった斎藤憐作の『上海バンスキング』で、吉田日出子が真似して唄った川畑文子の曲を、中村とうようさんの『レコード寄席』で聞き、歌の上手下手はともかく、「これはいいぞ」と川畑文子の曲も入っていたコロンビアの『日本のジャズ・ポピュラー音楽史』を買って聞いてからだった。
それらは、技術的には現在の日本のジャズ・プレーヤーに比較すれば、高校野球くらいのレベルだろう。
だが、全体が持っている雰囲気、音楽をやることの楽しさ、また不良っぽいいかがわしい魅力など、今の日本のジャズが失った良さが間違いなくあった。
今回、瀬川さんから実際にお聞きして大変意外に思ったのは、戦前・戦中・戦後のジャズの復刻LPがあまり売れなかったと言うことだ。
実は、コロンビアをはじめ各社では、1980年代にSP盤時代のジャズのレコードのLP化がされた。
だが、当時買ったのは、所謂懐メロ・ファンで、ジャズ・ファンは見向きもしなくてほとんど売れなかったとのこと。
確かに、当時それらのLPは、長く店頭にあったのを記憶している。
それが、CD時代になり、大ヒットしたのが、『バートン・クレーン』だったのだそうだ。
この辺から時代が変わり、若い人、若いジャズ・ファンが買うようになったとのこと。

瀬川さんは、1924年生まれで、高校時代からジャズが好きでレコードを集め、喫茶店等に通っていた。
実際にアメリカでジャズを聞いたのは、勿論戦後、銀行が提携していたアメリカの銀行に派遣される形で、1950年代、カーネギー・ホールでチャーリー・パーカーとスタン・ケントンを見たことから話が始まる。
このあたりのことは、朝日新聞の篠崎弘さんが『レコード・コレクターズ』で連載インタビューをしている。
だが、驚いたのは、このニューヨーク生活が決して裕福なものではなく、毎日パンとチーズの生活だったとのこと。
「大銀行の派遣社員なら裕福だったのだろう」と思っていたのは間違いだったが、沢山レコードを買い、多くの演奏を聞くためのものだったようだが。

この日、CDから掛けられたのは、デッイク・ミネの『ロマンティツク』とミッキー・松山の『スイート・スー』
ミネの『ロマンティツク』は、幻の初吹き込みだそうだが、実に甘くキザなかっこいい唄い方である。
今まで、ディツク・ミネは、『ダイナ』が最初とされていたらしいが、約半年前に吹き込まれていたのだそうだ。
瀬川さんによれば、「日系二世等ではない純日本人女性歌手で一番うまかったのがミッキー松山」だそうで、確かに上手である。
12月に、岸井明のCDと共に出る『スウィート・ボイス』で聞けるので、すぐに買おう。

2時間のプログラムが終了しての質問では、現在の大学生のジャズ・バンドのコンテストの傾向についてのものがあった。
最近はクラシックの国立音大のバンドが出て来て、正確な演奏をし、瀬川さん以外のプロ・ミュージシャンの審査員は、どうしても演奏の立派さに軍配を上げてしまうが、瀬川さんはあまり納得していないようだった。
私も質問した。
川畑文子についてで、私も好きだが、いくら聞いても上手いとは思えないが、瀬川先生は、実際にどう思われたかと聞いた。
先生は、川畑文子の二度の来日公演のときは、まだ10代だったので見ていないそうだ。
確かに、まだ彼女も17歳で、しかも本当はダンサーなので、歌はときどきフラットしてしまう癖があり上手くない。
油井正一さんもジャズ歌手とは言えないと言っていたとのこと。
でも、コケティツシュな魅力があり、さらに二度目の来日時のレコーディングでは、とても上手くなっているそうだ。
今回は、二度目の来日のときの録音もあるので、是非聞いて欲しいとのお答えだった。
12月の『スウイング・ガールズ』にマリー・イボンヌらと共に収録されるので、これも買わなくては。
荻窪 ベルベットサン

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