一部の新聞に出ていたが、布谷文夫が死んだ、64歳。
「日本のロック歌手の草分け」と出ていたが、それほど有名な方ではないだろう。
私も、大瀧泳一の「ナイアガラ」での『ナイアガラ音頭』等で知った。
だが、実は、はるか以前、ブルース・クリエーションでデビューしていたのだ。
その後は、大瀧らに参加すると同時に、サラリーマンであった時期もあったようだ。
こういうマイナーな方は、いずれ忘れ去られて終わりだと思うだろう。
だが、私は少し違うと思っている。
フェリーニの『道』の中の道化師のセリフではないが、「石ころにも意味はある」のである。
戦後の東宝の監督で、筧正典という人がいた。
多分、誰も知らないだろうが、1940年に京都大学から東宝に入り、戦後監督になった。まだご健在の堀川弘通監督と同時期である。
私が見た作品では、1962年の『妻という名の女たち』がかなりの問題作である以外は、ほとんどが「サラリーマンもの」の娯楽作品で、これといったものはない。
だが、よく見ると、戦時中の黒澤明、戦後の谷口千吉らの後を継ぎ、後の岡本喜八や森谷司郎らへと橋渡ししていたことがわかる。
どこかと言えば、全体に持つ清潔さとか潔癖さ等である。
だから、どのようなマイナーなアーチストで、ほとんど歴史には残っていないようなものでも、もっと巨視的に見れば、どこかでつながっているのである。
布谷さんのご冥福をお祈りする。
コメント
筧正典
筧さんは、後年テレビで「チャコちゃんとケンちゃん」シリーズを撮っていました。よく呑むと成瀬巳喜男さんの話をしていました。優しい人でした。