寺山修司は、多くの予言や挑発を繰り返した。
その多くは、かなり実現している。
例えば、「書を捨てよ町に出よ」などは、実現されている。
ただ、本を読まなくなった若者は、町に出ず、部屋に引きこもっているだけのようだが。
あるいは、彼は「家庭の幸福」を馬鹿にし、呪詛していた。
彼は、野球が大嫌いで、その理由は「打者がホームを目指しているから」であった。
家庭から逃れたサラリーマンが、プロ野球を見ているのは「ホームに帰るゲーム」に熱狂しているのは矛盾だと書いていた。
彼は、家庭、家族は解体され、コミューンのような共同体に移行すべきと思っていたのかもしれない。
実験劇場「天井桟敷」は、彼のコンミューンだったのかもしれない。
だが、彼の死によって天井桟敷は解散し、コンミューンは継続されなかった。
天井桟敷は、寺山のハーレムだったかもしれないが、コンミューンではなかったのだ。
以前、死んだ東由多加の東京キッドブラザースの芝居で、『黄色いリボン』というコンミューン的共同体の解散とその後を描いたのを見たことがある。
柴田恭平がいた頃で、中身は全く面白くなかったが、寺山修司のコンミューン的思想への共鳴を考えると、「あれは天井桟敷のことだったのか」と今は思うのである。