最初、このページの標題を「文化平等主義」にしようかと思ったのだが、あまりに硬いのでやめたのである。
文化平等主義には、二つの意味がある。一つは、あらゆる文化・芸術は等価であり、その価値は同じだということである。クラシックが偉くて、演歌は低俗という考えは低俗なのだ。すべての芸術・芸能のジャンルは等価である。優劣はジャンル間にではなく、そのジャンルの中にある。いいクラシックとだめなクラシックがあるのであり、いいクラシックと低俗な演歌があるのではない。
もう一つは、文化・芸術において、作者、伝達者(メディア)、鑑賞者(一般市民)の権利も、それぞれ同じだ、ということである。
日本はつい最近まで極めて貧しく、文化・芸術の量は大変不足していた。需要に対して供給が少なければ、その価格・価値は上昇する。だから、従来日本では文化・芸術においては、作り手が圧倒的に偉かった。
だが今日、バブル時代を経て、文化・芸術の生産・供給量は極めて大きくなった。質的にはいろいろ問題はあるだろうが。だが、このことに気づいていない作者やメディアが多いように思える。こうした間違いをただし、その三者はすべて同等だという立場で、多くのジャンルをさすらって行くことにする。