世襲とは

国会議員の世襲が問題になっているが、「世襲」とは一言で言えば、封建制である。
近代以前の社会では、職業や身分は、武士、町人、百姓というように生まれによって決められていて、自由に選択することはできなかった。
それを解放し、職業選択の自由を得たことが近代、現代の進歩の原動力の一つなので、現代社会に世襲はなじまないのは当たり前である。
特に、様々な余得、利益、特権と結びついている政治の世界で許されないのは当然である。イギリスでは、同一選挙区から身内は出られない。

さて、世襲が今なお行われているものに芸能があり、アフリカなどの途上国では、特定の一族が芸能を継承している。
音楽が典型で、西アフリカでは、音楽は「グリオ」と呼ばれる人たちで担われている。
グリオとは、西欧で言えば、語り部、あるいは吟遊詩人で、王様や貴族に庇護され、音楽等によって庇護者を称える歌、物語等を語る人たちである。
文字がなかったアフリカでは、こうした口承によって歴史、伝記、英雄譚、事跡、物語等が継承されて来た。
日本で言えば、『古事記』と稗田阿礼である。

セネガルのユッスー・ンドールもグリオの出であり、マリのトゥマニ・ジャバテ、アリ・ファルカトゥーレ等のコラ奏者もそうだ。
逆に、グリオ出身ではないのが、マリのサリフ・ケイタで、彼は本来王族の生まれである。だが、彼はアルビーノ、つまり白子で、まるで白人のような顔つきだ。そこで、一族からは差別、追放され、ストリート・ミュージシャンとして活動し、そこからスターになったとのこと。
そこが、彼の音楽の底知れぬ暗さに繋がっているのだろう。

世襲制だった日本の江戸の商家では、逆に直系男子に相続させない習慣があった。
例えば、歌舞伎の『八百屋お七』。
あそこで、お七の家は豪商だが、家の息子には家業を継がせず、娘のお七に婿を取らせようとして、お七の悲劇が始まる。あるいは、山中貞雄の映画『人情紙風船』にもなった歌舞伎の『白子屋お駒』、これも婿取りから大悲劇になる。

直系の男子は別の店に出し、自分の家は別の男を婿に取る(多くは優秀な手代、番頭だが)、というやり方が普通だった。息子が優秀で適任とは限らないので、優秀な跡継ぎを決めるにはなかなか賢いやり方だったと思う。
一種の「婿取り制」といえなくもないいが。
いずれにしても、世襲が封建制であることに間違いなく、政治の世界に世襲が多いとは、封建制に逆戻りしていることの証左である。
日本は、江戸時代に逆戻りしているのだろうか。

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