ブラジルの作詞家ヴィニシウス・ジ・モライスのドキュメンタリー。
ヴィニシウスの曲で、一番有名なのは、言うまでもなく『イパネマの娘』だが、その他多数の曲を書いている。
リオの裕福な家庭に生まれ、イギリスに留学するなどの高等教育を受け、若くして詩集を出し詩人として評価される。三島由紀夫みたいなものか。
戦後、外務省に入り外交官として活躍するが、同時に音楽家としてリオの様々な連中と交流する。
そして、リオの大学生等上流階級の若者や、ジャズ・シンガー・デック・ファルネイの周辺にいたアマチュアによって、1950年代末のプレ・ボサ・ノバと言われる時代から、自然発生的にボサ・ノバが生まれたとき、重要な役割を果たす。
そして、フランス映画『黒いオルフェ』となる詩劇『聖母懐胎祭のオルフェウス』を書き、大ヒットする。
その中のアントニオ・カルロス・ジョビン作曲、エリゼッチ・カルドーソが歌った『想い溢れて』のヒットで、世にボサ・ノバを知らしめる。
その後も、ボサ・ノバの中心人物として多数の曲を書き、例の『イパネマの娘』の世界的ヒットも生まれる。
イパネマの娘とは、本当にイパネマ海岸にいた実在の少女で、生涯で9回結婚したモライス好みの美人で、今も生きているそうだ。
1970年代には、バーデン・パウエルとアフロ・サンバを作るなど、ブラジルのポピュラー音楽の中心として活躍する。
私は、バーデン・パウエルもボサ・ノバの一部と思っていたが、全く違うものだそうだ。
今回初めて知ったのは、モライスがバーデン・パウエルとブラジル北東部のバイーアに移住し、アフリカ起源の宗教カンドンブレによる共同体を基盤に、海外コンサート活動をしたことだ。
これも1970年代の一種のコミューン的運動の一つだったのかも知れない。
彼も、白人としての音楽から始まり、晩年になるほどアフロ的、黒人的な音楽に移行していくのが大変興味深い。
それにしてもブラジル音楽は素晴らしい。
「渋谷シアターTSUTAYA」での映画の後、宮益坂のビル10階のCDショップの「エル・スール」に行き、店長の原田尊志さんと雑談。
アフロ・サンバ時代のヴィニシウスのCDはないとのこと。
たまたま店内で掛かっていたベトナムの歌劇「カイルーン」について話す。
カイルーンとは、漢字では改良と書くのだそうだ。
まさに日本で言えば、歌舞伎、旧劇に対する新派であり、カイルーンは新派のような「お涙頂戴劇」であるとのこと。
横浜に戻り、大学時代の友人でシナリオ・ライターの金子裕さんと飲む。
もう一人、来る予定だった中村征夫さんは、所要で今回は欠席。
この次は秋ごろに3人で飲もうと言うことになる。