土曜日の朝日新聞朝刊の「政治コラム」で、星浩編集委員が書いていた、竹下登元首相の言葉が、大変興味深い。
彼は、こう言ったそうだ。
「自民党は、福祉や環境など社会党から要求されたことを5年後に実現すれば政権を維持できる」
これは、俗に55年体制と言われた戦後の政治の本質であり、自民党の政治の本質でもある。
また、日本における社会主義的政策、教養の深さを示すものでもある。日本では、大学でマルクス経済学が講義され、戦前の革新官僚から現在に至るまで、社会主義的政策は、指導者の教養のひとつになっている。
戦後の自民党政治は、外交軍事では、アメリカ、西側に立つものの、福祉、教育等の社会政策面では、社会党らの主張する政策を巧みに取り入れて来た。
その象徴が田中角栄で、「ばら撒き」という富の再分配を通じて、日本全土の福祉の向上を図った。
世界の保守政党や支配層では、貧困層に対して教育、福祉等に再配分をすることはきわめて少ない。支配層にとって、貧困層はずっと貧困なままが良いとして、教育を与えない政策の国はきわめて多い。
自民党が、教育が大事と予算をつぎ込んでいるのは、実は世界の保守政党の中では、例外的なのである。
たとえば、ブラジルでは、大学の授業料は無償で、誰でも受験できる。
それが機会は平等ということになっている。
だが、実際は私立の高校に行かないと、大学に合格できない。
つまり、貧困層から大学に行くものなどいないのだ。
事実、現大統領のルーラ氏は、自動車会社の社内の専門学校卒の学歴である。
そこから、労組の代表になり、議員になり大統領に選ばれた。
日本では、田中角栄が、かつて優秀な人間を育てるには優秀な教員が必要で、そのために教員の給与を上げるため、「教育公務員特例法」を作り、給与を加給をしたが、こういう政策は、まさに社会党が要求することをいずれ実現すれば足りた、という戦後政治のそのものだったのである。
それが、ソ連崩壊、冷戦体制が消えた現在、どこにも目標が見えない中での政治が混迷するのは、ある意味当然なのだと思う。