最初の違和感

中田宏横浜市長に、私が一番最初に違和感をおぼえたのは、4年前の春だった。
当時いた区役所の行事に市長が来て、私も職員の一人として玄関で出迎えていた。
すると見慣れない大きな車が来ると、そこから中田市長が颯爽と出てきた。
「あれっ、市長車ってプレジデントじゃないの・・・」

横浜市の市長、助役、正・副議長、収入役等の公用車は、1970年代以降は、すべて日産車だった。1960年代までは、日本にろくな車がなかったので、外車だったらしいが。
あるとき、社会党の副議長が、「日産イコール民社党で嫌い」と、トヨタに変えよとした。だが、財政局の強硬な抵抗にあった。結局、トヨタにしたが、その次の人では日産車に戻った。
そのくらい横浜市役所職員は、地元企業に愛着があった。

「あの車は何に?」と随行の職員に聞くと、「ジャガーですよ」と答えた。
びっくりしたね、地元企業ではなく、外国車を市長が使うとは。
しかも、当時すでに日産本社の横浜への移転が決まっていたのだ。
今回の辞職でも、自身の成果の一つに、中田市長は堂々と日産の誘致を言っているが、本人は公用車に日産車を使わなかった時もあったのだ。
さすがに、ジャガー使用は長期間ではなかったようだ。民主党の日産議員からクレームがあったのかもしれない。
翌年、同じ行事で来たときは、プレジデントだった。

いくら自分が外車が好きだとは言え、それを公用車に使うなど、もっての他である。
今回の辞職劇を見ても、中田宏市長は、言うこととやることがかなり違う人のように思える。
まことに常人には、理解できない人である。

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