かつて私が横浜市会事務局に入ったとき、野島問題対策実行委員会と言うのがあった。
野島問題など、横浜市に入るまで知らなかったが、これは横浜市と横須賀市との間の境界問題なのであった。
江戸時代、横浜と横須賀との間には、今と同様に侍従川が流れていたが、それは今の野島をぐるっと廻るのではなく、横須賀の夏島との間辺りを澪とするものだった。
その辺が、漁民同士の漁場の境であったらしい。
だが、明治以後、この横須賀市に海軍が置かれ、横須賀航空隊の基地にするため、軍は大規模な埋立てを行った。
まさにミリタリー・エンジニアリングである。
英語で土木工学のことをシビル・エンジニアリングと言うが、その対句としてミリタリー・エンジニアリングがある。
築城から道路整備、築港に至るまで、土木事業は軍事の中核であり、ローマから豊臣秀吉に至るまで、土木事業は戦争にたいしての重要な戦略の一つだった。
その意味では、秀吉は天才的な土木事業家、都市工学者だったと言えるだろう。
さて、海軍は多分勝手に埋立をしてしまい、川の流れも変えてしまった。
そこは広大な飛行場になり、戦後は米軍基地を経て、日産の追浜工場と浦賀ドックになった。
横浜側では、「その辺は本来横浜市なのだから、寄こせ」という声が上がり、議会にも委員会ができたのである。
境界問題など、関係者以外にはどうでもよいことだが、金沢区民など関係者には大問題で、簡単にはゆずれなかったのだ。
だが、結論から言えば、神奈川県知事の調停で、横浜市は権利を放棄することになった。
いろいろと条件はあったのだが、今は誰も憶えていないだろう。
要は、境界紛争というのは、そうしたものであり、大乗的な大人の解決で収拾すべきものだと思う。
その意味では、尖閣や竹島問題も「大国である日本」は大人の態度を示すべきだと私は思うのである。